暴走しないシステムはあったほうがよいけど、それはシステムでなくて、それこそ一人一人が声を上げることでしか抑止できないと思いますよ。
政治でさえも暴走しないなんて過去の歴史をみれば言えないわけだけど、でも暴走しないシステム(憲法、法律・・・)がいろいろあるわけだけど、でもそれではたぶん小さい暴走は留めれても大きい暴走はとまらないと思いますよ。
ネットの暗い情念が“世論”と接続してしまう怖さ - シロクマの屑籠この理屈だと、街頭でのデモが権力に影響を及ぼすことにも戦慄せざるを得ないのでは?街頭でのデモがネットに移行だけで、権力に対して効果を発揮するかどうかはマターによりけりだと思うよ。
2015/09/02 23:33
もっと、周りの人間や周りの民衆を信頼してもいいんじゃないかなぁと思うとともに、このままだとダメだと思えば、自らが立ち上がって声を上げないとダメだと思う。
ただ、声のあげ方が、「馬鹿な民衆にはネットは危険すぎて、おまけにネットは抑制できないから危険だ」みたいなことを言い出しても、それは自身の価値観からみた現象を言っているだけで、実際にはなんの声も上げてないのに等しいと思う。
僕が怖いと思うのは、何かあった時に、立ち上がって声をだし、行動をしない人たちは増えることのほうだと思う。
間違った方向に世の中が流れそうなときに、ただ声を潜めて、状況の成り行きを、良識派を気取ってとりあえず見守りましょうみたいな人たちばかりになったら、もうその流れは止まらないと思う。
また、プロや専門家をないがしろにしているとかいう論理も実際にはダメだと思う。決定権を持つのはだれか?という部分があって、プロや専門家じゃない場合のほうが多いんですよ。
会社に、ITを導入するからといって、プロにすべてお任せとかで導入して、プロが責任取ってくれるかといえば責任取ってくれない事のほうが多いのに、プロを信用してプロに任せるべきとかいうのはたんなり権威を守るための方便にすぎないかもしれないってことは、すぐにわかるとおもう。
プロや専門家は、決定権を持たないときは、たんなるアドバイザーにすぎないから勘違いするな話。でもって責任とれないプロと専門家の話は、その他大勢の身勝手な民意とかわらないてことです。
「街頭でのデモ」でも、これは「良いデモ」であれは、「悪いデモ」という認識でなくて、賛同できる、賛同できないっていう話にならないとおかしいはずなのに、「悪いデモ」と認識する人の一部は自身にとって都合よくないものは排除したいっていうだけだと思う。
そんなに、現実の世論にリンクはしない
・後追いでも、マスコミが同じことをするかどうか?・NHKが、後追いでも、取り上げて報道するか?
まず、ネットの世論がうんぬんよりも、最後の決め手は上記の部分も大きいと思うんですね。
ネットで騒いだからって、そんなにすぐに現実の世論まで取り込むなんてことは、難しい感じではありますよ。逆にもし難しくないのなら、政治に、政府に利用されることでしょう。
あと今回の件は、海外のデザイナーが訴えた?というのが発端であり、ネットとかで意思を表明したという点が、ネット時代ではないか?と思うし、その行為がよくないとはいえないとは思う。
Théâtre de Liège vs Tokyo 2020
#Tokyo2020 #ThéâtredeLiège #plagiat? pic.twitter.com/u64MpWBAI2
— Olivier Debie (@OliDebie) 2015, 7月 28
光の部分も見ないといけないと思うんですよ。あと、政治家だって、民衆にそういう手段で問う場合もあるでしょう(煽ってる人もいるけど)。
昔も実は似たものはあったのでは?
・週刊誌のゴシップもどき・スポーツ新聞
・ワイドショー
井戸端会議でやってたことが、TVで行われるになって、その影響範囲が大きくなった時に、
昔は、井戸端会議で収まっていなのに、TVというものは害にしかならない、怖いよとか言ってた時代もたしかあった記憶があるけど、今はそのことをあまり指摘しないでしょう。
今回のネットで起こった手法って、現実世界でも使われているよね
だから、問題ないっていう話でなくて、ネットの問題にすり替えてるだけなんじゃないの?という話。PVを稼げるからと実際の現象を煽った感じで取り上げるサイトと
現実のゴシップ記事とかとはどう違うの?
反対するためなら、どんな要素でも集めて、多くの人を取り込む手法
これもありますよね。本当は主義主張が違うのに、とりあえず同じ結果を求めているのでという感じで・・。
また、人格攻撃や論点ずらしの攻撃なんて言うのもよく使われる手法で
逆に反撃する側も、不当に人格攻撃されているとか、論点をずらして反論してうやむやにするとか
そういうのをつかうのは、ありふれた現象ですよね。
企業も、訴訟圧力で黙らせたりするところもありますが、そういうのと似てはいないでしょうか?
結局は、周りが馬鹿で狂気に走らないかどうかだけを心配しているのでは?
インテリを知性主義に置き換えてる程度の話で、周りはインテリでないから怖いって話を
反知性主義っていうレッテルをつけて、馬鹿な人が暴走するのは怖いよって話をしてるだけのような。
インターネットがパブリックなメディアになるのも、コミュニケーション手段になるのも良いことに違いない。しかし、そこで意想外で不定型な権力のクラウドが生まれ、見境なく社会的制裁を振るう現状は、褒められたものではない。昔だったら居酒屋談義で終わってしまったはずのネガティブな情緒が、インターネットを介してこんなに繋がり、こんなに盛り上がり、こんな風に“世論”に直結して構わないものだろうか?力を行使される対象がきわめて疑わしいケースだとしても、私はなにか納得できず、改めて今日のインターネットに戦慄せずにいられなかった。
ネットの暗い情念が“世論”と接続してしまう怖さ - シロクマの屑籠
ネットで可視化されるのと、その流れの勢いが早いから違うように思うだけで、本当は昔から、そうだったのかもと思うけど。
ちょっと近所でうわさが流れてら、そこでは住んでいられなくなったりするのは、今も昔も似たようなものでしょう。それがネットと結びついて規模間が大きくなったというだけの話だと思う。
ネットの暗い情念が“世論”と接続してしまう怖さ - シロクマの屑籠ブコメ怖い。今回は正しかったのだとしても、もしこの力が間違った方向に働いたらと考えてしまう。ネット以前だってこういった「情念」はあり続けたけれど、確実に参加のハードルは下がってる。
2015/09/02 21:52
ネットの暗い情念が“世論”と接続してしまう怖さ - シロクマの屑籠『だが今回のソレは、マスメディアよりずっと立場が不確かで、マスメディアよりアンコントローラブルで、道義的責任とは無関係な不特定多数のメシウマ欲や暴露欲が、“ネット与論”という名の権力の塊を形成し、とう
2015/09/02 23:28
もっと周りを信用すべきだし、信用できる努力をしないと・・・
もっと世の中を信用すべきだし、信用できる努力をしないと・・・
もっと政治を信用すべきだし、信用できる努力をしないと・・・
もっとネットを信用すべきだし、信用できる努力をしないと・・
もっとマスコミを信用すべきだし、信用できる努力をしないと・・・
言葉をかえて、自身がなっとくできるものから、ほかのものに拡張していけばどうかなぁと思う。
受け身で、自身の気持ち良いことばを聞けるものを信用するというスタンスなら、どうかなぁという話。
受け身でとか、盲目的に信じろというのは、信用できる努力ではないので・・。
いくら言葉を変えても、表現を変えても、言ってることは変わらない
・私は、弾劾のプロセスとネットの性質に戦慄したんですよ - シロクマの屑籠私は、弾劾のプロセスとネットの性質に戦慄したんですよ - シロクマの屑籠「批判は正当なのに“暗い情念”とは何事だ!」まさに俺が言いたかったのはこれですが。数が集まれば暴力になり得るからと、各自が正論も自由に述べられない世の中がお望みなのか?俺はそのほうが怖いですが。
2015/09/03 22:26
・正当なものは問題ない
・不当なものは問題だ
戦慄した人も逆の人も結局は上記の価値観に基づいていないか?という部分は気になる
これって、「不当とレッテルさえ張れば、排除できる」となれば、どうなるか?って話ですね。
「密告なんてするな、正々堂々と訴えればいいんです」
とか一見正しそうに見えるし、それが多々しい手続きや手段でありますといえばそうなるかもしれないが、
そんなの逆に悪用して、都合の悪いものをぷ足してしまうのに都合よく働くのに決まってますよ。
過去の歴史はそういってると思う。
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