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「竹島騒動を受けて見方が変わってしまった」「もうK-POPは聴きたくないと思った」そういう人を引きとめるつもりは更々ない。
私が言いたいのは竹島騒動のことではなく、それに「なんとなく反応しているファン」についてだ。ハッキリ言わせてもらおう。あなた達が何を問題にしているのか、何を求めているのか、まったくわからない。問題が無いのに問題にしているようにしか見えない。
K-POPファンよ目を覚ませ~なんとなく反応しているファンへ~
ファンであろうとなかろうと
他人に、考えを強制することは良くないってことだけだと思う。また、言動をどうすることもできないわけです。ファンならこういう行動をとるべきという話なんだろうけど、それ自体がもうダメなんですね。これって、ファンを「愛国心」に置き換えてみればそのよくない理由が、よくわかると思う。
愛国心があれば、こういう発言になるはず
ファンであれば、こういうことに気を付けるはず
の「はず」という部分が価値観であり、それは他人に押し付けたりできるものでもないし、おまけにその価値観というのは絶対的なものでないわけです。
「なんとなく反応している(考えなし?)」ことが、良くないという思いも、それもある価値観で見た時の評価でしかない。こうあるべきと思うから、そういう態度が気に入らないとか、迷惑とかそういう感じだと思う。
なんとなく嫌だという発言で、世の中がどう変わるかなんて予想もできない。また応援するつもりの発言が、逆に足を引っ張ることだってあるのも事実なので、応援にはこれが最適という行動パターンもなさそうに思う。
またファンだからって応援ばかりしている人たちばかりでなくて、痛烈な批判を繰り返してるようなファンもいる。それは、ほかの分野?のファンをみればわかるだろう。
意外と見落としがちなのは、行動が逆効果をもたらす現象があるということ。
たとえば、愛国心が強すぎる人の発言が逆効果をもたらしている事例だってネットをみれば明らかだと思うんだけど、冷静でないとそうは思えないかもしれない。
愛国心があれば
愛国心があれば、K-POPのファンでいられるはずがない。「アメリカのテロの報復?戦争に反対する人たちは、アメリカ国民としての愛国心がない」というのに近いかも。愛国心があったって、戦争に反対する人はいるでしょう。
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