本記事は広告およびアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
コネ採用と出自性別による採用差別って本質的に違いがないと思うんだが。
http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2012/02/23-1903.html
確かにコネは努力で獲得しようと思えば可能だが、出自性別は獲得不可能なものだ。
しかし、コネがある人を採用したいという企業側の要求だけ肯定され、特定の性別出自の人を
採用したいというほうは否定されるのは何故か。政治的正しさとやらかな。憲法の基本的人権からか?
(出自というと被差別部落の人を連想するが、イスラムだったり、キリスト教原理主義を連想される
人は面倒だから落とされてそうだ。)
採用業務の効率を重視してコネが認められるなら男女別等の採用も認められてもおかしくない筈なのに、
憲法にそうあって、基本的人権だからと言ってそこから先に立ち入らないのはおかしな議論だわ。
https://anond.hatelabo.jp/20120204125610
差別につながるかどうか?
おそらく多くの企業が同じことを公言してやり出したら、NGだと思うので、単に許容されたというよりかは放置されてる類だと思う。出版業界が思想の自由とかを尊重するのなら、こういうこともしてはよくないのではないか?とは個人的には思う。男女関係なく能力や適性で採用され、給料も同額であるべきだとするのなら、男女別採用は効率的でコスト削減できるのだろうか?この手の問題は、うまく論理を摩り替えて、本質をわからなくするのが簡単にできるので注意は必要だと思う。
男女別採用することで、効率的になること自体が男女差別の可能性があるわけです。女性のほうが賃金が安く済むとかそういうのが存在するのなら。
女性しか採用しないけど、法律で禁止されているので女性パート募集って広告打てないのは非効率でコスト高になるけど、なぜそういうものができたか?という本質を見失っているだけです。
またそういうものは、ある程度世の中の意識が変わるまでは、おかしなことがあったり非効率なことがあったりします。それは、社会全体で背負うべきコストだと思います。
セクハラが少なくなった?のも、同じような感じの道のりがあったわけです。今では、多くの人がセクハラと認識されてる行為でも、その当時は、単なるスキンシップだとかHな気持ちは一切ない行為だとか言われてきたものです。
努力で獲得できるか?
努力で獲得できるから、差別につながらない。そういう考えもある意味危険です。どんなに努力しても、東大や京大にいけない人は居ます。それは、頑張りが足りないの出なくて、生まれつきの適性や素質による要素も大きいのです。がんばれば、ある一定範囲までは獲得できるものが多いです。でも、ある一定範囲というのは、人によって幅があるものです。
逆にいうと、何の努力もしないでも生まれつきの適性だけで、東大や京大に入れる人も居るわけですよ。
間違ってはいけないのは、完璧に、公平とか平等とかいうものはこの世の中にはないわけですが、だからといって「不平等や不公平」を許容しなければならないというわけではありません。
差別というのは、境界の難しい問題なんです。明らかなものとグレーなものが存在するわけです。
コネ入社、私学の裏口入学
これ、どっちも違法じゃないんです。でも、堂々と公然と明言してやってますとは言えるようなものではない性質のものだと思います。
¥ 929 (楽天の価格)
スポンサーリンク
コメントを残す