・昔の私は違ったと思わない
・私は何も悪くないと思わない
・心は広く
・寛容さをもつ
・怒らない、絶望しない
・過去にとらわれない、過去の思い出に溺れない
・未来がみる、未来に託す
・愚かな人たちを、もっと信じる
・醜い自身の姿や心を否定しない
別に老害になっても良いと思うし、老害にとらわれてもいいとおもうけど
そうなりたくなければ、どうすればいいのか?っていうのを考えましたって話です。
まあ、老害に無縁そうな人、老害になっていない人をみて、たぶんこうじゃないかなぁというだけの話。
私は・・・という問題
・私は違うと思わない・昔の私は違ったと思わない
・私は何も悪くないと思わない
こういう思想は、若者でもいて、そういう若者ってなんだかなぁとは思う。
入社2・3年目でも、俺たちの新人の頃は違ったって声高に言う人たちがいうるんだけど、そういう人ってあまり仕事できないんだよなぁという気が個人的にはします。
心の問題
・心は広く・寛容さをもつ
・怒らない、絶望しない
これぐらいの心でないと、人は育たないのではないか?というのと
いちいち目くじらを立てってたら、疲れるよ、大変だよというのはると思う。
怒りのパワーを維持できるっていうのは、ある意味、若いってことかもしれないけど、そのパワーは別の方面に向けるほうが幸せになると思うんだけどなぁというのはある。
過去・未来、時間の問題
・過去にとらわれない、過去の思い出に溺れない・未来がみる、未来に託す
・愚かな人たちを、もっと信じる
過去にとらわれる系の問題ですね。これ若者でもいて、過去の思い出というぬるま湯につかって、出てこれない人たちがいるわけで・・・。まあ別に悪いことではないんだけど、でも現在を生きていくのにはちょっと降りかなぁという話。
あと、ちょっと系統は違うんだけど、愚かだと思われる人たちをもっと信用すべきというのはあるとは思う。若者は愚かだから任せられないとかそういう系統の人は、ダメな気が・・。
それと似た話で、周りの人間はバカばかりだからとか、世の中にはバカしかいないからとかそういうロジックの人たちも、よろしくない気がする。
現実の問題
・醜い自身の姿や心を否定しない美化の問題ですね。多くの老害系って、何らかの美化から始まると思ってよいと思う。
物語をつくりだして、自身を美化するとか、過去を美化するとかそういう系統。
昔は違った
私は違った
そういうのも似たようなものでしょう。
・・・・
・青二才さんが老害と呼ばれることを覚悟で発した叫びを聞いてやってくれ重さって、単に長く生きてますっていう話であって
たくさんものを食べて、中年太りしてますっていうのと
あまり変わらないと思う。
中年太りは醜いけど
長く生きているという醜さは、自覚できないだけかも。
経験を積むと得られるものもあるけど
同時に失うものもある。
それは若者らしさ。
個性のなさって、あるいみ若者らしさだと思う。
色に染まっていないって話とたぶん同じ系統の個性のなさだと思う。
実際には個性がある。
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