引用先は流し読みしかしてないんだけど、
僕の意見としては、たぶんクソ野郎だと思います。
この手の話は、陰で悪口をいうのはいいのか?みたいな子供じみた反論をされる方がおられるのですが、それって的外れなんですね。
まず、正面切って批判する行為はいいことなのか?っていえば、悪口でなくて批判ならいいとかそんなことを言い出す人たちもいますが、厳密に、悪口なのか批判なのかなんて切り分けできないことのほうが多いです。
批判とか言いながら、公開裁判みたいなことになったら、それはそれでどうなのかなぁと思うわけです。
そういうのはともかく、たぶん距離感の問題だと思うんですね。
同じ悪口をいっても、距離感があるほうがマシっていう部分がどこかにないだろうか?ということです。
批判は、人にしているのか、論理にしているのか?
このあたりも厳密に切り離すことができないわけです。論理にしていても、その論理を行動原理にしている人がいれば、同時に人も批判していることになるでしょう。
まあ、思想にしているとしたら言及しないでも、言いたいことはかけると思うんですね。
お前はどうなのか?
僕も、当然、クソ野郎かもしれないって話で、そうだろうなぁとは思う。そう思われたくないっていう人間心理をつかって、その手のロジックをつぶそうというのもたちがわるいと思います。
また、言及して非難することが、悪いこととは言えないというロジックをつかって、
言及して非難するのはクソ野郎だと思うというロジックをつぶそうというのも
筋が悪いと思うんですね。
正しいことを言ってる程度で、クソ野郎じゃないなんてこと言えないんですよ。
正しいことをいっていても、正論をいっていても、クソ野郎なんているわけだから。
簡単な話、思いやりや気遣いがないっていう話。
なぜ、悪いことをしてないのに、気を使わないとダメなんだというロジックが、クソなんですよ。
距離感の話には、善悪関係ない
コミュニケーションの話に、善悪関係ない。喧嘩売る必要ないんじゃないか?
批判してるだけですといっても、結果として喧嘩売ってることになるのなら、それは辞めたほうがいいかもと思うけど。でも喧嘩したいとかいう人もいるだろうけど、まあそういう人は、ある価値観ではクソ野郎という話になると思うんですね。簡単な見分け方としては、引用部分をすべて除いたときに、コンテンツとして存在できるか?または、書き手の言いたいことがそこにあるか?とかをみれば、少しは切り分けできると思う。
その作業をして、なんだかなぁと思う場合は、喧嘩を買うべきではないと思う。
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