「xxxは手抜き」論争の怖さ

手抜きかどうかの判断

手抜きかどうかは、必ず比較対象があると思います。それ単体だけで、手抜きという定義はできないはずです。

手抜きを手抜きでないと強弁する

いろんな論理を駆使して、手抜きを手抜きでないと事実を塗り替えたい人たちが一部いるような気がします

その手抜きは、許容できるものなのか?

私が思うのは、論点は、「その手抜きが許容できるものなのか?」という部分にあると思います。でも、その論点でなくて、手抜きでないという話にしたいわけですよね。

悪者を仕立て上げて

悪者を仕立て上げて、みんなで、追い立てたら、黒いものが白くなるという勘違いをしてる気がします。

でも、今の世の中は、本当に黒いものが白くなる世の中なので、一概に勘違いとも言えません。

「生き残ったら勝ち」みたいな感じで、生き残ってから、あとから事実をきれいな物語にラッピングしてしまえば、それまでのドロドロしたものは消え去るみたいなテクニックも駆使できる感じがします。

それはともかく、悪者であっても、真実を言ってる場合は多々あるでしょう?

倫理的・道義的にひどい発言であっても、言ってる内容が事実だってことはあり得るでしょう。

ひどいことを言うよね

「ひどいことを言うよね」と「嘘ついてるよね」は別物だけど、「ひどいことをいう嘘つきだ」みたいに混ぜて、ごまかす手法って怖いんじゃないかなぁと思う。手法というのは、常に正しい側が使えるわけでなくて、正しくない側も同じ手法を使えるんですね。

一度、手法を認めてしまうと、手法の駄目さを指摘しても、その指摘が効力を失うんですね。

「xxxは手抜き」論争の怖さ

「xxxは手抜き」といった人たちの心が優しくないのかもしれないけど、でも反論する側の狂気じみた態度をみても、同じく、優しくないよなぁと個人的には思う。

属性による決めつけを多用し過ぎで、ヘイトと紙一重かなぁと思います。

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