編集者の意思が介入してコメントの抽出が行われるためコメントが偏る。僕自身は、情弱の部類なので、mixiでmixiニュースとかを見てるわけですが、そこに掲載されているメディアもどきも、まとめブログと大差ない感じなんですけどね。
それは「神の手」のように作用する。
特に韓国や中国が絡むイデオロギーの成分が高いスレッドはその傾向が顕著だ。特定のブログ名は出さないが完全に一方の意見しか載せないサイトもある。
編集者の政治信条なのか純粋に読み物として楽しくするためにコメントを抽出した結果意見が偏ってしまったのかは判断できないが、オリジナルのスレッドに合ったはずの空気感は完全に失われている。
スマホの台頭でインターネットを身近に使う層が大量に存在しているがその多くはライトユーザーに分類される。批判を恐れず言うと情報弱者が大量に発生したわけだ。
そのライトユーザーたちがまとめサイトの膨大なPVを支えている。
あるニュースのまとめ記事を目にした際、これが2ちゃんねらーの意見なのかと思い込む。
2ちゃんねるのまとめブログがキライな話 - ネットの海の渚にて
Twitter界隈ではこういう意見があるとか、ネットではこういう反応があるとか、そういう感じで都合よく編集して、それらしい記事を書いてるだけで・・・。取材とかそんなのしてるの?という感じで・・・。
オマケに記者の恣意的なものは見え隠れするのに、ネットの反応ですからというスタンスも崩さないんですよ。
そんなのに比べると、まとめブログのほうがマシな部分もあると思う。まずは、マトモそうなメディアには見えないという点でマシ。
あと、情報の偏りは心配ではあるが、それはまとめブログの元スレを確認したところで、偏りがあるのには変わりがない感じがするんですね。
「情報弱者」が「判断弱者」だとは限らない
ネットで手に入る情報では限界がありますし、そもそも英語の原文をみて理解するとか、論文を読んで理解するとかできないわけで、単に情報を入手できる程度ではあまり意味ないとも言えなくはないかと思います。たぶん、心配しすぎじゃないかな?と思うわけです。
情報弱者は、判断を誤る可能性が高いか?どうか?なんだけど、重要なことに関して、そうそう見当違いな方向に向かうことがあろうか?ということなんですよ。
もちろん学生とか未成年は違うと思うけど、それは情報弱者云々でなくて、経験とか知識?とかそういう問題のほうが多いとおもうけどね。
情報をたくさん集めれば、信用できる情報をたくさん集めれば、正しい判断ができるということはない。
ライトユーザーだからではないからかも
まとめブログは編集されていて面白いが、元スレはよんでも面白くないという理由で、読まないだけかも。面白いというか、好みの思想や刺激がほしいだけで、別に「正しい情報」がほしいわけでも何でもないんだから
何を求めているかと、情弱・ライトユーザーとは関係ないのかもしれないということ。
スピチュアルな人は、スピチュアルなものに傾倒しがち
たとえば、スピチュアルな人に、スピチュアルの矛盾と問題点が明確に書かれている記事を紹介しても、無意味なんですね。逆にその記事に反感を抱く人たちと仲良くなって、前よりももっと強化されるということも実際にあります。
好みといっては良いのかどうかは不明だけど、その人の好み(受け入れやすい論理)でない限り、その情報を手に入れたとしても、判断を覆す材料とかにはなりにくいんですね。
※
誤解のないように書いておくと、僕個人としては、スピチュアルとか占いとかは、まあイイんじゃないかな?とは思っている。成功した経営者とかも占いで意思決定してたり、スピチュアルな考えを持てる人も意外と多いし・・・。
情報遮断をしてしまうと・・・
まとめブログは害があると情報遮断をしてしまうと、逆効果になることもある。どこかで、似たような論理に初めて出会って、免疫がないために、それにはまっていくというパターン。
情報は、混とんとしていたほうがよいかも
管理されにくいから。特に、国家などによって管理されにくいから。情弱やライトユーザーがいないと、インターネットの無料モデルが成り立たない
「はてなブログ」もその系統。情弱の人が、偏ったまとめブログとかに触れることには心配するのに、
情弱の人が、広告かどうかわからずにクリックすることに関しては、だれもあまり心配しない。
情弱の人にもわかりやすく、これ広告ですよ、このクリックはアフィリエイトですよと分からせる、啓もう活動するとかはしないだろうな?と思う。
偏った思想にふれることにより、偏った思想の人が増えることは心配なだけで、別に情弱の心配をしてるわけではないからだと思う。
はてなブックマークとか、Twitterまとめとかも、かなり偏った部類だとおもうけど。
非情弱さんが議論してることも
どうでもいいことを、小難しく、メタ技巧とか使って、あれこれ言ってるのも、たいがいどうかと思うけど。それは、判断と情報とは、因果関係はあるが、思っているほどないってことでは?
そもそも生活あり、仕事(学業)ありとかの状況で、さける時間も知れてるわけで・・・。
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