以下、僕の頭の中の妄想であり、偏見まみれの話です。
まあ、事実関係も見てないので、かなりの妄想気味かも。
お金を払ってるんだけど、文句あるの?
たぶん、要約するとこういうかんじ
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一部の客
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お金を払ってるんだけど、文句あるの?
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会社側?
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経営厳しんだから、映画見てくれるとか関係なくて、入場券買ってくれれば問題ないんだよ。
この意見、不愉快だなと思ったら
邪魔な「真っ当そうな意見」を排除するのには、方向性の違うものをぶつけるのが一番効果的。あくまで個人的な意見、見解ですよね?
それって、個人的なエゴですよね?
たしかに、映画が好きな人に、映画を楽しんでほしいというのは、身勝手なエゴでしょう。
僕の感想
別に、こういうのは辞めてほしいというのは、お願いであって、禁止でないわけなので、
明らかに不当なことを言ってるわけではない場合は、許容するのが
より良き社会だと思う。
僕は、どっちかというと、
良心的な人を排除するのは、結果としてダメだとおもう。
僕としては、一部の客も、炎上させたくない会社?もどっちも、どうでもいいんだけど、
なんか、良心的な人たちがこうして抹殺されるというか、そういうことを言い出せない雰囲気にさせていって
より良き社会になるのだろうか?というのが心配。
世の中が良心を求めてない可能性はある
・良心のある作品・良心のある製品
・良心のある人付き合い
エゴを押し通すほうが優先されてる感じかも。
つまり、エゴを通すために、良心ある人をエゴというレッテルを逆に貼り付けて排除してるのかも・・。
建前だと思えば、何も排除する必要もないとおもうけど
正論をいうけど、実際にはたいした対応をしない。そういうのは、たぶん建前の場合が多いと思う。たとえば、映画を見た後に渡すように変更とかしないわけだから。
会社?側も建前の一つも言えないのは、ダメな感じだと思う。
建前だけだとよくないケースもあるが、建前さえも言えないのは、もっとよくないケースだと思う。
モラルに該当する場合は、特に建前がなくなった時点で、モラルはもっと崩壊する傾向にあるかと思う。
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