過去の自身の発言を持ってきて、本の宣伝をしないといけないとは、なんとかわいそうなんでしょうみたいな感じで、本当はかわいそうではないのに、かわいそうな存在を作り出しているという構造の話です。
・サイゼリヤをイタリアンと言っている人たちは、かわいそう? ->実際は、かわいそうではない。
・本場がどうなのかとか探求心がないのが、かわいそう? ->実際は、かわいそうではない。
興味ないものに関しては調べないし、イタリアンというのは大した意味をもってるわけでもないので・・。
イタリアンを、すし(Sushi)や餃子に置き換えてみれば、すぐにわかると思うんだけどね。
「探求心があることが、素晴らしい」というのは、たんなる価値観。
本当にかわいそうなのは・・・
かわいそうというレッテルを貼り付けて、自己の欲望を満たそうとする心のほうなんじゃないの?と思う。周りから、かわいそうって言われたら・・・
なんとなく、そんな気がしてきたりするんですけど、まあ気にしないことですよ。キラキラネームでかわいそうとか、
かわいそうとか言いながら、かわいそうな存在に仕立て上げているのは、お前たちだと・・・。
良識ある人たちは、変な名前だからといって、差別(区別?)したり、いじめたりしないのに、
なぜか、良識ある人たちが、「キラキラネームでかわいそう」って言い出すんですなぁ。
良識あるというのでさえも、微妙な話なんだと思うよ。
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