比較して「マシ」だ論は、何も言っていない論になりがちなのでやめた方がよい

  • 投稿 : 2015-02-27
だが、お前らは人を罵倒しておきながら、ブロックされるのは不当だという。それさえもちきりんが悪いという。
それはいじめの論理だろといってるのだ。わかるか?わかんねーんだろうな
そんなこともわからないで、揚げ足とったつもりのコメントしてるやつどえだけあたま悪いの
ちきりんさんは嫌いだがいんちきりんみたいな言葉を使う人よりはマシだ

正当化するつもりがなくても、正当化しているんじゃないかなぁと受け取られるリスクが高いのは事実だと思う。

で、比較して、何々よりマシだという論理を展開するのは、ほとんど無意味じゃないかなぁと最近思うようになりました。

まずは、「何々よりマシだ」という論理が、現状を追認する論理でしかないためというのが大きな理由だと思います。

それでは、積極的に何かを肯定する論理を打ち立てているわけではないので、多くの人たちが自身の「考え・意見・ポリシー」を変えることはないと思います。

比較論は、性質のちがうものを比較しがち

・言っている本人
・もともと賛同している人たち

この属性の人たちには、性質が違うものだと認識されないが、
そうでない人たちには、性質が違うものを比較していると思われることが多いと思う。

この世の中に、厳密に同じものなんてほとんど存在しないので、性質が似たようなものを選ぶというのもあまり意味がないと思う。

逆に、違いを指摘することで、論破する手法というものも存在しているわけだから、いくら似ているものをもってきても、論破しようとする人たちがいる限りは無意味になり下がろうと思う。

テクニック(手法・論法)は、年々、高度化している

昔有効であった手段は、使えないと思った方がよい。

反対する?立場にたって、論理を組み立てることが重要

論理的にはそう。

反対派でも賛成派でもないけど、
どちら側かに有利な内容を書いただけでも
そのレッテルを貼られて、
いろいろコメントとかしてくる人たちがいるのをみると
なかなか難しい話ではあるとは思うけど。

・・・・・

ちきりんさんは嫌いだがいんちきりんみたいな言葉を使う人よりはマシだ

ニコニコやネットのつまらない炎上は同調圧力とかいじめの構造で捉えられるんだけど、自分一人の熱量で悪意をばらまける本当に変な人もまたいるんだよな

2015/02/26 11:59

影響力がある人は、一個人であって、一個人じゃない場合もあるとは思う。

比較する手法というのは、便利につかえるけど

たとえ話による批判は、相手を陥れるのに便利である

たとえ話と似てるんだと思うんですね。

批判だけでなくて、
論理展開?するにあたっても

・たとえ話
・なにかとの比較
を使っているものは、用心した方がよいと思う。

用心というのは、
・相手が書いた意図通りに読める
相手が隠している意図も読める
の2つです。

文意を正しく理解するというのは、そういう部分があるかと思います。
「なぜ隠している意図」があるかといえば、それを表に出すと賛同者が減るからです。

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