たとえ話による批判は、相手を陥れるのに便利である

  • 投稿 : 2012-03-05
  • 更新 : 2016-10-02

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では、「本質的にはこれと一緒だから」というタイプの比喩はどうだろうか。これも、大抵の場合「この問題とこの問題を一緒にするなんてとんでもない!」という話で一蹴されてしまう可能性が高い。
http://d.hatena.ne.jp/NOV1975/20120305/p1

気に入らないという名の批判

たとえ話や比喩的な表現で批判されたら、無視する(スルーする)に限ります。

愚かな人間ほど、自分自身は愚かだとは思わないのです。どちらかというと、高等な人間で道徳的であるとさえ思ってる人すらいます。聞く耳を持たない条件を正当化した形で持っているので、相手の声は何も聞こえません。

無自覚な場合が一番対応に困ります。

多くの場合は、その主張が気に食わない程度なのに、気に食わないと素直にいえない&表現できなくて、相手が間違っているとか、相手の人間性がおかしいことを示したくなるようです。この傾向は、論理的に自分自身の意見を展開する人にどうも多い傾向のようです。

自分勝手な理解

たとえば、「xxx禁止」と「xxxをご遠慮ください」はまったく同じ意味だとしても、「xxx禁止」だと批判されがちです。

なぜそういう風になるかというと、主張していることが同じであっても、「xxxをご遠慮ください」だと受け取り側は自分の主張を採用することが可能だからです。ご遠慮なので禁止ではないと理解するわけですね。

たとえ、相手が禁止という意味で使っていたとしても、もともと相手の考えを理解しようとしないタイプの人はそのことすら気づきません。

「xxx禁止」と「xxxをご遠慮ください」が同じ意味の例としては、「クーポンの併用はご遠慮ください」等があります。これを禁止でない言う人はいません。


論理的なのに感情的

気に入らないという気持ちが強すぎると、人は愚かになりがちなのかもしれません。文章が論理的であることと、感情的になってないことはまた別です。また論理的であっても、その内容が感情論であることすらあるわけです。


当たり障りのない表現

ご遠慮くださいなどの当たり障りのない表現を用いると、反感をあまり買いません。また、周りには賛同者がたくさんいるかのように見せることも可能です。多くの人が、「いいね!」を押したくなる状況です。

当たり障りのない表現を使うことと、批判する人をスルーすることは、場合によってはほぼ同じだということに気づくでしょう。

当たり障りのない表現によって、スルーすべき批判するような人が自分の勝手な解釈をして、批判するまでもないことだと思ってくれるわけですね。そういう解釈や理解の仕方をする人と、マトモに議論する意味がないのもよくわかるでしょう。



たとえ話は、意見を決めた人の説得には使えない

たとえ話で議論をしないことが常識になってほしい

たとえ話は,モヤモヤしている人に説明するもので,反対意見の説得には使えない。たとえ話に限らず,言説は意見を決めかねている人に向けられるもので,反対意見の人には届かない場合がほとんど

2016/10/02 06:57

たとえ話をつかうとしても、相手の心が揺らいでいるところを狙わないと意味がないと思う。
その場合は、たとえ話を使うよりかは、もっとダイレクトに揺さぶる方法のほうが良いでしょう。

たとえ話は、話自体が揺らぎやすいので、自身の都合の良いように解釈されると、揺さぶれない。

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