信頼から幸せに変換する方法

  • 投稿 : 2013-04-07
  • 更新 : 2014-07-01
最初に言ったクッキーのこと、わたし男友達に「食べて大丈夫?何はいってるかわからないよ?」って言ったんだよ。
そしたら「せっかく作って持ってきてくれたのに、そういうことを考えるな」みたいなこと言われて説教された。
https://anond.hatelabo.jp/20130407124857
それ以前に、そんな発言を相手かまわずしてしまうことに、危機感のなさを感じてしまいました。

実際に危険性があっても、そのような発言をしてどうなるかを考えないのは、大人?なのかな。

男女関係なく、こういう発言をできる人は、人から好かれないだろうし、また意外とこういう人を信用しないんですよ。だって、事実であっても思考が怖すぎるから、実際にそういうことをしかねないという恐怖感を相手に植え付けるんです。

別に、自身が見ず知らずの人から受け取ったものは食べないというのは問題ないし、場合によっては妥当なところだと思います。

危機感がありすぎると人生楽しめない

世の中には危険なことがたくさんあります。しかし、だからといって、危機感を持ちすぎると人生楽しめないこともあります。

危険をどの程度のものと評価して、どの程度の対応をすべきかと考えるべきであって、何でもかんでも危険なものをさけだしたら、人生は彩のないものになりかねません。

インターネットに接続するだけでも、かなりの危険性があります。

夫婦であっても、食事に何を入れられてるかわからない

過去の事件を見ても、その危険性は否定できませんが、多くの人はそんなことを考えずに生活しています。

信頼・信用というのは、信じるだけであって、実際に裏切らないという保証なんてどこにもないんですね。

なぜ信頼できるか信じられないというのは、信頼というものがそもそもそういう性質をもつものなんです。

何も起こらない人生は、楽しいか?

世の中には悪意を孕んだ好意みたいなものが存在すると思うんだけど、彼らはその存在を無いことにしたいのかな。
無いと信じたがっているように見える。

どんな好意も歓迎するのは自由だけど、何か起こってからじゃ遅いと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20130407124857
僕は、引用先の文章の内容が、十分、「悪意をはらんだ好意」の文章に思えるんですね。書いていることは全くの嘘でもないが、しかしそれは極論過ぎるだろうと簡単に思えない人たちにとっては、そういう作用になるかと思う。

「悪意をはらんだ好意」の文章がわかりにくいのなら、「呪いの言葉」と置き換えればよいかと思う。

まあ、引用主がチョコを彼らに渡したら、彼らが食べるかどうかは微妙だとおもうけど・・・。逆に、何も知らないほうが、ありがたくいただける。


世の中には信用出来ない人だらけ

「彼女に合鍵渡したら、勝手に家にあがって勝手に郵便物全部開けて、引き落とし日や支払い期限をカレンダーにメモしていく」
っていう相談をしてたんだけど、これ怖いじゃん。普通にプライバシーの侵害というか、過干渉というか。

結婚したわけでもないのに、よくそこまで信頼して身をあずけられるな
https://anond.hatelabo.jp/20130407124857
怖いかどうかは、個人主観で人ぞれぞれだと思う。

これ発想が逆で、合いかぎを渡すということは、そういうことなんだよというリスクを知るべきであって、相手が怖いかどうかとか、合いかぎ渡す相手を見極めるべきとかいうのはまた違う話だと思う。

逆に、結婚したらいきなり信頼できるのか?とか身をあずけられるのか?というと、そうでもないと思う。

信頼とかは、試行錯誤の中で構築されるべきもので、その構築途中で当然行き過ぎる行為も出てくることは普通だと思います。

そもそも、キレイごとだけで結婚してる人はどれだけいるかってことですよね。競争相手を卑劣?な手で蹴落としたりしてないのか?とか・・・。

卑劣な手を使ってるからと言って、急に信用できないわけでもないでしょう。

これも価値観で、そういう人は信用できないと考える人もいるし、逆にそこまでするのなら逆に信用できると考える人もいるわけです。

実際、世の中には信用できる人なんて、ほとんどいませんよ。信用できるかどうかというのは、人間関係を構築する発想ではないわけです。人間関係を分類する方法です。人間関係をこれから構築していきたいという時に、信用できる人なんてほとんどいないわけです。

あんな人辞めときなよ

女友達のいうことを信用して、不幸になっている人たちも数多くいるみたいですが、それは信頼というものを勘違いしてるからだと思います。
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