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俺はずっと人が怖かった。そんな怖い人たちが、中身のない俺に反応を返してくることも怖かった。理解できなかった。人々はみな俺に騙されたふりをしているのかもしれない。なのに、俺は誰かから反応をもらう時だけ、自分の中に本物があるような気分になれた。人は真実なんてわからないことが多い。恋愛などを見ればわかるように、ほとんどは誤解と勘違いによって構成されてると考えたほうがよい。だからと言って、幸せになれないわけでもないし、本物の愛を得られないわけでもない。
https://anond.hatelabo.jp/20110819085942
だまされているのか、だまされていないのかは一生わからないかもしれない。また、だまされて始まったものでも本物になることも多々ある現象である。
もしかすると、中身のない人のほうがある種の人間にとっては心地よい存在なのかもしれません。人は本物よりも心地よい関係を望むからです。中身のない人間には執着やこだわりが少ないため、不協和音になることが少ないので心地よいのかもしれません。
それはさておき、虚無感はどうすれば消えるかということですが、もしかして自分自身のことがあまり好きでないということならそれが原因かもしれません。どんな自分でもそれを肯定してあげないと、自己アイデンティティの確立がされ難いのです。
アイデンティティがないと、他者との関係によって自己の存在を認識するしかなく、他者からの反応がある時だけ自分自身があるような感じがするのではないかと推察します。アイデンティティが確立されると、他者との関係だけでなく、他者との関係がなくても自己の存在を肯定できるのです。
自己の存在の肯定というと難しいことのような気がしますが、一言でいうと自分が好きであるということです。自分自身が好きだという自分で自分を肯定することによって、自己確立すること可能なわけです。
騙されるとか騙されないとかいうのと、物事に鈍感であるというのはあまり変わらないと思います。世の中の人を見ていると、どちらかというと鈍感な人ほど幸せなわけです。次に、よいほうに勘違いする人も結構幸せだったりします。
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