個人の能力の違いなんてほとんどない?!
いや、差があると思うよ。プロジェクト制でメンバーを選ぶ場合なら、誰でも一緒なんて誰も思わないし、できるのなら、優秀な人(マシな人)をとりたいわけです。ここで、重要なのは、優秀でも単価が高すぎれば、それはそれでNGで、お買い得さが評価されるわけです。予算というのがあるので・・。たいした差がないと感じるのは、当事者でない傍観者だからだと思う。
上司や派閥で評価が決まる?!
評価基準に、上司に気に入られるか、どこに属してるかが入るだけで、それ以外の要素も当然あるわけです。上司だってシビヤなので、いくら気に入っても無能な人を評価しないんです。誤差?の範囲に収まる、許容範囲に収まる人でないとダメなんです。一番優秀ではないが、それなりに優秀でないとダメだということ。
上司・派閥には、人脈みたいな効果があるわけですから、それを評価基準に入れても逆におかしくないわけです。そういうリソースを利用できるほうが、できない人より、当然仕事がスムーズにできるでしょう。
零細企業とかなら、上司や派閥が、社長に気に入られるかどうかが評価につながるのと変わらないと思います。ワンマンな社長に気に入られるかどうかのほうが評価に大きな差があるのは当然でしょう。
仕事できない無能な人が平然といられる大企業は、ヌルい?!
平然といられるかどうかは主観で、実際は肩身が狭い、居場所がない状態のことが多いと思うので、何とも言えませんが…。ただ、無能といえども、雑用みたいな仕事をしてることがほとんどで、確かに雑用にしては給料が高いかもしれないけど、評価は最低ランクのことがほとんどです。
この状態がヌルいというのは、単に、「恵まれている」「条件がよい」というだけの話だと思います。
中小企業でも仕事ができない人たちはいて、働いていますよ。経営者からみたら辞めてほしいと思ってるかもしれませんが、首にしても同程度の代わりの人しか来ない状況だと、そのまま雇用し続けるしかないわけです。
これも程度の差は違えども、ヌルいわけですよね。
大企業は違う理由で首にできないだけだと考えることもできますし…。
目に見えない厳しさがあるとは思う
仕事ができない肩身の狭さを体験したことがないから、そういう風に思えるだけなんじゃないかなと個人的には思う>ヤル気がなくて真剣に考えるのがイヤなら、仕事をしているように見せる方法だっていくらでもある。
能力が高くないと、通常はできない芸当。成果物がない仕事なんて、ないわけだから。
誤差や許容範囲を超えて、成果物の評価ができない、成果物自体がないとかなら、その大企業はたぶん倒産しかねませんよ。
5%というのは、許容範囲の目安みたいなものでは?
主に、感覚論で、「ヌルい」を示す物差しや、評価基準がないのが、ダメな感じがする
たとえば、僕が大企業で働いたら、みんな優秀すぎてついていけないと感じたら、ヌルいなんて感じないわけです。でも、僕と同じぐらい無能な人たちがノラリクラリ働いてると思うと、ヌルいなと感じるかもしれません。企業は小さくても、問題点は似たようなもの
派閥 = ワンマン社長みたいな感じで、企業特有の問題点はどこでもあると思う。
残りの95%以上は特にたいした差異もなく、上司に気にいられているかどうか(=派閥に入れるか)で評価が決まる。管理職は1割もいれば十分だとすれば、自然とそういう構成になる可能性はある。
個人の能力の違いなんてほとんどない。特に知識の量とか努力の量とか関係ない。上司もそんな違いがわからない。
ヤル気があって真剣に考えれば、意味のある仕事を作って取り組むこともできるし、
ヤル気がなくて真剣に考えるのがイヤなら、仕事をしているように見せる方法だっていくらでもある。
そして、企業が大きくなると、そこにいる社員はどうしてもこうなる。それは経営者の手腕とか能力ではなく、
人間が組織を作り、安定的に運営するためには結局最終的にこうなるんだということだと思う。。
https://anond.hatelabo.jp/20130830200109
管理者をどの程度にするか、能力をどの程度評価するか、給料差をどのように分布させるか?は経営者の方針によってかわり、その方針によって分布が変化するとは思う。勝手にそうなるわけではないと思う。
だって、外資系だと雰囲気ちがうようにみえるし・・・。
あとトヨタとか見る限り、引用先のようには個人的には見えないなとは思うけど、トヨタ自体が大きいのでどれだけマクロな視点でみれてるか?という話になると経営者でも何でもないので、部分しか見てませんということになるかと思う。
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