男には、(女の)論理は通用しない話が、「女は論理的でない」という偏見につながっていると思う

論理というものを、勘違いしている

理系学生のよくある勘違い
理系バカと文系バカは、どっちが実社会で困るか?

理系の人間が、文系の人は論理的でないというのと同じ。文系の人も十分論理的。

数式化しにくい程度では、論理式で表せない程度では、論理的でないとは言えないのです。

この例でもわかるように、強く自分自身は論理的だと思っている人たちは、それ以外の人たちを非論理的だと言い出す傾向があるのです。単に、論理体系が違うとか、表現方法が違う可能性とかも考えずに…


論理には、必ず主観が混ざる

事実から、それをどう考え判断するか?というのが論理だとするのなら、後半部分に「主観」が混ざる可能性が高いということ。

科学的でも同じ。

たとえば、閾値をどこに設定するかなんて、価値基準なしに設定できないわけです。もしできるのなら、政治的判断とか、医学的判断とか、多数の同意とか必要ありません。

99.9%の安全を確保できればよいという場合と、99.999%の安全を確保すべきと、状況に応じて変化するのを見ればわかるでしょう。

よく、メリットとデメリットを比較しろとかいう表現を使う人もいますが、それこそ主観に基づく論理判断です。

A君に好かれるメリットとB君に嫌われるデメリットがあります。B君に嫌われても大したことないですよね?と同じようなことを言っているのに、当人はそう思っていないだけかもしれないんです。

で、それに賛同してもらえないと、B君に嫌われても、死ぬわけでもないし、全然平気だよといいだすわけですね。


リスク管理は、起こる頻度以外に、起こった場合の被害の大きさも考慮されるべき

これを利用して、各交通機関がうちが一番安全とか言い出してた気が・・・。

俺「不安なのは分かるよ。だから鍵は締めるけど、そんなに怖がる程リスクは高くないと思うなぁ」
女「怖いよ。変な人が入って来るかもしれないじゃん」
俺「危ない人が部屋に入って来ることって確率的には交通事故より少ないんじゃない?」
彼女の頭が悪くてたまにイラっとする

 夜道は危ないから外出しないというのは、飛行機は事故に遭う確率は少ないけど、
落ちたらほぼ死ぬから乗らないというのと同じようなことですか?
夜道を歩いて事件に巻き込まれるより、交通事故に遭う確率の方が高くはないですか?

感情論ではなく統計的、根拠のあるデータで女性の夜道の一人歩きは危ないという、
説明ができる方、よろしくお願いします
女性の夜道の一人歩きは本当に心配するほど危ないのですか? - その他(社会問題) - 教えて!goo

そもそも根拠なんかなくても、普通に考えて危険でしょう?というのを認められない人たちは、はたして、どの程度論理的なんでしょうか?

日常生活における論理と、学術的な論理とは、また別物だと思います。

学問で、普通に考えて危険でしょうというのが認められないのは、それが論理的でないという部分でなくて、学問でないからです。

宗教にだって、論理体系は存在する

非論理的という言葉は、切り捨てるのには便利であって、理解にはつながらないと思います。

正常な人間の思考である限り、その思考はロジカルなんです。だからこそ、意思疎通が可能なわけです。

統合失調症とかのひどい症例を調べればわかると思うけど、ロジカルでないというのを勘違いしてると思います。

喧嘩できる、会話できるというだけでも、どれだけロジカルであるかということにまずは気づくべきでしょう。

たとえば、相手が非論理的なことを発言していると認識できた場合は、その発言は十分ロジカルな要素で構成されていると考えて間違いありません。

いや、日常生活が学問の人は、まあ、相手の発言が非論理的だとおもえば、それは非論理だと思います。ただ、日常が学問ですので、その会話は日常会話でないという認識で…。その喧嘩も、学問的な意見の対立だと認識しましょう。


東大出ていても、バカな人はいますよ

これを認められるのなら、論理的であるだけで賢くて、非論理的だからバカというのは短絡ではないでしょうか?

男性もたいがい、非論理的ですよ。論理武装してるだけで…。

追記:

「エピソード的理解」と「意味的理解」

このライターのように、話を文字通りに受け止めることを「エピソード的理解」と言います。一方、話の意味する真意を受け止めることを「意味的理解」と言います。諺やたとえは、「意味的理解」をしてこそ、その役割を全うします。「弘法大師は、いつ書き損ないをしたのか」「ほんとうにサルは木から落ちるのか」という疑問をもつのは、それこそナンセンスというしかありません。
「エピソード的理解」と「意味的理解」 | 家庭学習研究社って、どんな学習塾?

たぶん、ニュアンス的にはこういう感じ。

「エピソード的理解」では、論理的ではないが、
「意味的理解」においては、論理的である可能性があるということ。

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『男には、(女の)論理は通用しない話が、「女は論理的でない」という偏見につながっていると思う』へのコメント

  1. 名前:匿名 : 投稿日:2013/08/02 09:29

    論理/ロジックの定義を誤解しています。

    健常な人の判断プロセスはエピソード的ではあるけれど、必ずしも論理的なわけではありません。

    論理の理は物事をバラバラに分けるという意味。似た意味の解とくっつけると理解となる。Science(科学/理学)のSci-も同じばらばらにぶった切るとの意味。科も分類するという意味。

    つまり論理というのは、細かい単位に分けても正しいものが連なっているものです。
    細かい単位に分解すると前と後ろがつながらずに飛躍している論はエピソード的ではあるけれどロジカルではないのです。
    ステロタイプな女性の判断プロセスはエピソード的に連なっているけど、天下り的な自己価値観がいきなり挿入される点で、細かい単位の流れが飛躍しており論理的とは言い難いのです。

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