東京都豊島区の「マスジド(モスク)大塚」には15日午後、約20人が礼拝に集まった。パキスタン人のアブドゥル・ハクさん(26)は「けがをした人たちが早く回復し、犠牲者の家族の心に安らぎが来る日が来るように」祈ったといい「テロはパリだけでなく、ロンドンでも、パキスタンでも、世界のいろんな場所で起きている。テロリストの行為はイスラムの教えに反しており、それはどの宗教も同じだと思う」と話した。
パリ同時多発テロ:日本国内イスラム教徒からも怒りと追悼 - 毎日新聞
イスラム教徒だと、少しでもISを擁護していると思われる発言はできない(雰囲気がする)。
でも、イスラム教徒でない僕は、そういう発言してもバッシングされるリスクがあってもイスラム教徒の人ほどではない(と思う)。
大国の横暴がISを生み出したなんて発言は、たぶんできないだろうと思う。
間違った発言かもしれないけど、それはおいておいて、
そういう自由な?発言ができないというところが、「イスラム教徒というレッテル」の怖さなんだと思う。
国内イスラム教徒の彼らも被害者なんですなんていうのは、聞こえはいいけど
実際には、逆利用しているに過ぎないと思う。
ISがすべて悪いんだ、悪いのはISなんだということに・・・。
まあ、実際にその可能性も高いけど、
それとは別に、逆利用してそういう風に誘導しているのは明らかなような。
僕でもこんな意見を持つのだから、イスラム教徒というだけでそういう考えは持たないとは言い切れないと思う。
あと、ISが勝手にやったことで、僕たちは関係ありませんとかもあまりゆるされてないような。そもそも、同じ系統の宗教を信仰しているってだけで・・・。
レッテルの怖さ
レッテルがあるために、発言に制限を受けるとかそういう雰囲気。雰囲気といえば聞こえがいいけど、無言の圧力みたいなものですよね。
言葉をどんなに選んでも、発言できないのが、その怖さ。
ISを擁護しているように誤解されないように言葉を選んでも、ほとんど不可能という状態なら。
大国の横暴というか欧米の横暴だと僕は勝手に思ってるけど・・。
正しい手段で、抵抗すべき?!
逆に、不当なことをしてくる輩に、正しい方法論で対抗できるのか?といえば現状できていないのでは?
スポンサーリンク
コメントを残す