・成功した人は、インテリ風にふるまうから
・発言主がインテリだから
・インテリの定義が、その都度変わるから
教養がないことの怖さって、「世の中には自分の知らない世界がある」ことが想像つかないから、ちょっとでも理解できないものに接触すると、「やだ、キモい!」って拒絶するしかなくなることで、だから安易にオタ批判とかしてくる人は、逆に「教養がないんだな」と思ってほっとくのが吉ですね。
— みそしる (@sssgantan) 2018年3月26日
けれどそういう考えができないと、自分の理解できる領域外にあるものが視界に入ると、その存在自身が自分の世界の否定にすらつながりかねないとの考えとなり、強い拒否反応を示してしまう。その存在自身が自分にとっては許せないものとなる。そういう文化があったのか、デ・カルチャーとか驚くことすらできず、理解できないからキモイ、排除、弾圧という感じ。
教養が無いと拒否反応が強くなる。自分の知らないことがあるとの想像もできなくなる - 【ネタ倉庫】ライトニング・ストレージ
それらしい論理の時こそ、注意しなければいけないと思う。これは至言かもしれない。知識と教養の違いがはっきり付けられる。具体的にいえば、いくら該博で精密また専門的な知識をもっていても、「『世の中には自分の知らない世界がある』ことが想像つかない」人は、教養がない。>RT
— KANATANI, Joe 金谷 譲 (@BlogJoseph) 2018年3月28日
1つめは、「やだキモい」という拒絶する人を、「教養がないんだよな」というマウントでさらに拒絶する
2つめは、理解できても、キモい、排除、弾圧とかはあるので、理解できると本当は関係ないことが多い
3つめは、教養の再定義をしてるので、教養ありなしなんて関係ないですという論理は潰される
※1つめは、<<「教養がないんだな」と思って>>なので、教養がないとは言ってない。
オタクもキモいっていわれてるけど、おやじ(おっさん)もキモいって言われてるけど、本当に教養の問題なの?
まあ、教養の一つとして、「差別をしてはいけない」「公然と他人を侮辱してはいけない」とかはあるかもしれないけど、でもそれって知識とは関係ない教養だよね。倫理観や道徳観のような・・。でもって、そういうのは、小学校の子供でも知ってることなんじゃないの?それ教養なのかなぁ?!
それとも「教養ない=育ち悪い」とかいうレッテル貼りなんですかね。
いろんなケースを考えてみよう
ケース1
若者:教養がない年配:教養がある
この場合は、若者は年配の世界をどうこういうと、教養がないからとか言われても平気ですかね?
教養というのは、学歴(学業)だけで形成されるわけではなくて、人生経験(年月)もある程度必要ですよね。
まあ、「教養がない」を「人生経験に乏しい」という言葉に言い換えて、同じようなロジックを形成することができるけど
ケース2
都会の人:教養ある(とされている)田舎の人:教養がない(とされている)
この状態で、都会の人が田舎ぐらいしをしたときに、都会のあらゆるルールをマトモだと考えて、田舎のルールのここがおかしいとか思わないだろうか?
ケース3
大卒のインテリ:教養ある(とされている)高卒のガテン系:教養がない(とされている)
工事現場で現場監督みたいなことをする大卒いインテリは、世の中には自分の知らない世界があるということで、いろんなことを許容できるか?とか、相手に合わせることができるか?とかはどうでしょうか
本当に、教養関係あるのかなぁ?!
教養ある人は、表立って、品のない?ことをしないっていう話に過ぎないのでは?品のないことしてるけど、言葉が美しいとかでごまかされてることもあるよね。
知識があれば、理解できればとかは、幻想なんじゃないの?!
・知識があてば・理解できれば
・世界の広さをしれば
・世界にはいろいろな価値観があることをしれば
そういうのって幻想なんじゃないのかなぁと思う。
カルチャーショックみたいなので、何かを悟った気になる程度で、実際には大した話じゃないのでは?
それらしい納得できる論理は・・
たんに、心のバランスをとるためにだけ導入すべきものであって、それを事実だとか真実だとか思わないほうが良いんじゃないかなぁと思う。あと、教養ある方が、保守的な傾向にあったりして、拒絶反応多いことも多いと思うけど。確かに、教養ある人は、流行の思想に染まりやすくて先進的に見えたりすることもあるけど、ただそれだけ。その思想と違う人たちを、先進的な思想を理解できない人たちということで「拒絶」してることもあるしね。
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