普段、周りから上から目線と言われることが多い。
結構言われる。
正直、自分は相手を下に見たことは一度も無い。だけど周りで見ている人や会話している相手(人づてに聞く)からは、上から目線だったと指摘される。
上から目線って言われるから理由を考えた
上から目線は後付けの理由であって、「うざい邪魔」というのが本当のところでは?
「うざい邪魔」だと思われないように行動しない限り、上から目線といわれると思う。上から目線でも集団や組織になじんでる人たちもいるじゃないですか?その違いをみると分かるのでは?
でもって、そういう人たちの真似をしても無理というか、無理だから「上から目線」とかいわれるわけで・・。
YES/NOの質問形式を多用すると、独善的になるのかも
普段は仕事関係の会話をするときは、「これこれこうだからAをしてくれませんか」とか「あれがああなるのでBではないですか?」というように相手の返答として YES/NO を期待する聞き方をしている。
だから二択のつもりで実は一択を要求していたのではないだろうか。
上から目線って言われるから理由を考えた
ヒヤリング術とか営業の会話術としては一般的なんだけど、表面だけみると同じだけど、内実は違うというのがあると思う。
普通は、2択(YSE/NO)で会話してても、相手がそれ以外の答えをしても問題ないとする雰囲気が普通であって、そういうのがないのなら、「うざい邪魔」になりかねないと思う。
上から目線でないんだけど、時々いるじゃないですか?
・答えだけ教えてくれればいいんだよ
・結果だけ教えてくれればいいんだよ
という感じの人たち。
それでも別に悪くないと思うんだけど、あまり多用すると反感買うよね。
でもって、親切心でいろいろ付加情報を含めているの人たちは、もうこの人には事務的に付き合おうとなると思う。
その程度ならいんだけど、答えだけ結果だけ聞いて、その行動の結果、こちらが被害を被る場合は、最悪ですよね。
そうならないために、答えだけでなく、結果だけでないものを会話に含めてるんだけどみたいな。
言い回しが大事
答えだけ、結果だけ知りたい場合でも、状況が理解できないから、まずは結果だけ簡潔に教えてもらえるかな?
みたいな言い回しが大事だと思う。
僕自身言い回しが不得意なので、上記の例はよくないかもしれないが、雰囲気だけ・・。
答えと結果を聞けたら、あとは話に付き合って聞いてるふりしてたらたいてい問題ないことが多いと思う。
言い回しはテクニックだけど、
共感や思いやりがある人は自然とできたりするとは思う。
でも共感や思いやりというのは、成人してからはそんなに変わらないと思うので、そういうのが苦手・ない人はテクニックでカバーすべきだと思う。
言い回しに工夫をしたら避けれるのなら、そうしたらいいでしょう。
本物の思いやりと、偽物の思いやり
親密でないかぎりは、そんなの区別してもあまり意味ないし、また区別できないと思う。上から目線とかで批判されるのは、親密でない関係の場合がほとんどなので、偽物の思いやりでも全然問題がないことが多いと思う。
上から目線とかの改善に、人間性を絡めてはダメ
人間性を良くすれば、上から目線にならないというのは理屈であって、真実ではない。結局、「邪魔うざい」という理由がかわるだけで、根本的な問題は改善しない。
上から目線で嫌な奴から、人間性は良いんだけど迷惑な人なんだよねに変わるだけ。
共感と思いやりを言葉に混ぜたら、上から目線はマシになるかも
人間性をよくするのではなくて、そういう路線のほうまマシなのでは?口うまい人たちは、人間性の良い人もいるけどそうでない人たちもいますよね。で、口のうまい人は反感買いにくいし、上から目線とかいわれませんよね。
相手の心のツボを刺激するようなことをしてるから、反感買わないのでは?
親密になる、仲良くなる
これが一番手っ取り早いけど、たぶん、上から目線とか言われる人には無理なのかもとは思う。親密になる、仲良くなると、上から目線もたんなる性格の一部程度という認識にするかわり、問題となくなる
「うざい邪魔」というのは、結局は
・利害関係
・人間関係
の問題だと思う。
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