・自身にとっては非効率だけど、全体にとは必要
会社の会議とかでも一緒なんじゃないの?
承認とかの手続きとかも一緒じゃないの?
何か問題があった時にしか、その有効性がわからなくて、普段は無駄以外の何物でもないという感じなのでは?
一番おバカな感じだと、
上司にホウレンソウする時間がもったいない、その時間があるのなら仕事を先に進めたほうが良い
みたいな感じじゃないの?
上手くいってるときはいいけど、何か問題が起こった時に、自身で責任とれるの?かぶるの?
学校(教師)やPTAとかも似たようなものだと思うけどね
「合理化すれば、みんなが幸せになれるのに」というのが、本当なら、合理化は進むと思うけどね。「合理化すれば、人件費抑制できて経営者は儲かります」というのが本当だから、合理化は進んだわけで。
親が楽すれば、学校(教師)が大変になるとかいう場合だと、その合理化って、親にとっての合理化だよね。
PTAとかでも一緒なんじゃないの?
暇な人がボランティアでやればいいのです
そういう発想は、ダメだと思うよ。犯罪とか何か起こったら、地域でのなんちゃらが大事とかいいだして、自身は仕事なので参加できませんみたいなのって・・。
暇な定年後のジジ・ババがやればいいでしょうみたいなのも、微妙。
金払えばいいのでしょう?!
多分そうだけど、金払えるのなら代理人をやとって参加させたらいいと思うんだけどね。代理人を雇うだけの金は出せないが、少額の金なら出せるっていう場合は、金払ってるとかいうのとはちょっと違うと思うんだけどなぁ。
合理化・効率化は正義ではない可能性もある
職場の、合理化・効率化は、正義でしたか?!まずさぁ、誰にとっての合理化・効率化なのかをはっきりさせないとダメだよね。
会社(経営者)にとっての合理化・効率化は、労働者と利害が一致しないことが多いよね。
その辺はおいておいても、
正義だと思いこむと、どうしても暴力的に物事を勧めがちなのがダメな気がするんですね。
方向性が違うだけで、伝統だからかえれない、昔からのやりかただからかえれないという人たちと、そう変わらないような。
非効率を極端に嫌う人達は、病気だと思う
ITの世界でもいるけど、現実と融合しにくいので、病気かどうかは不明だけど、生きづらそうな感じだよ。あと、ITの世界でも、合理的とか効率的とかいう概念にも、流行があったりするんで、本当に普遍的なものなのか謎だなぁと個人的には思う。
ITの合理化で苦労してた人が、より不幸になった話
ITの合理化っていってもいろんな側面があって、単純作業からの解放というよりかは、
人に依存する仕事をなくすっていう部分が大きくて
これすすめて成功してしまうと、
今まで、こんな非効率で無駄な作業なんてやってられるかぁ?といってた事務員の人たちの一部が、要らなくなってしまうんだよね。
おまけに、経験とかで得られるノウハウも一部システム化されてしまうと、もうその人の価値がタダ下がりで・・・。
合理化をした結果、「今まで苦労してた人たちが、もっと不幸になりました」という結果をもたらす場合があるわけですね。
そりゃぁそうでしょう?システム化して効率化で来たら、8時間作業が2時間作業になった場合に、時給は今までと一緒かそれよりも下がるわけで、おまけに労働時間も少なくなるんだから。
・経験要らない、人に依存しない =>時給下がる
・4時間暇になる =>他の仕事しないで休憩できるわけない
職場での人付き合いとかも、たいてい非効率的だよね
というか、非効率でないと形成できないものってあると思うよ。別にそんなものはいらないと思っているのなら、合理化で問題ないと思うし、僕も別に要らないかなぁと思うのでスルーするけどね。
でも、多くの人たちにとって、その非効率でないと形成されないものを必要としてるんじゃないの?
別に人間関係だけでなくて、近所付き合い、町内会?とか地域社会?とかそういうの。
なにかあった時に、助け合いしたいんですよね。
助け合いといえば聞こえが良いけど、助けてほしいんだよね。
一番、効率化しやすい条件は、相手に責任を求めないこと
合理化(コストダウン?)はするは、責任も求める派では、一方的な合理化ですよね。なにか問題があった時に、学校から連絡なかったとか言う話にならないのなら効率化しやすいと思う。
児童にプリント持たせましたとかでも、学校は連絡したっていうことになるよね。
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