なるべく正しい情報を脚色なく伝えることです。
たとえば、脅せば、一時的には人は動くかもしれない。でも、だんだん脅し効果っていうのは薄れてしまうんですよね。
情報に少し脚色して、オーバーに表現すれば、一時的には効果があるかもしれない。でも、その効果っていつまで続くかですね。
刺激に対する反応を期待する路線って、だんだん刺激を強くしていかないと、効果が薄れていってしまうという性質があるからだと思う。
じゃぁ、だんだん刺激を強くしていったらいいんじゃないの?という話もあるが、それって、何回?何年?できるでしょう?永遠に刺激を強くすることなんてできないはずなので・・。
賢い?偉い?人が、道を示してあげるという路線
この路線には限界があると思うんですよね。でもって、賢い?偉い?人って、頭で考えがちなので、意外と路線を外しがちだというのもあると思う。
言い訳はよいが、その場しのぎの言い訳はしないほうがマシ
賢い?偉い?人が、道をしめすが、その道が間違いとは言わないまでも正確でなかった場合ですね。正確でないことに対する言い訳をすることで、今後も「道を示す力」を維持しようとするのだろうけど、その場しのぎの言い訳をすると、次回以降に問題が生じることがあると思う。
つまり、今は擁護できる論理であっても、状況が変われば邪魔になる論理かもしれないってことですね。
言い訳しないで、事実を伝えたらよくて、その事実から、判断するのことを相手にゆだねるべきだと思う。
なぜ、「間違いとは言わないまでも正確でないか?」という事実を示せばよいわけです。では、なぜその事実を示せないか?といえば、もしかすると「道を示す力」を疑われるかもしてないという邪念があるからだと思う。
そんなことを言っても、馬鹿な人がいるから
そういう場合は、「命令」です。命令してそれに従わせるためには、一定の条件を満たす必要があります。
その条件を満たせない場合は。「命令」という路線はあきらめるべきであると思います。
「命令」という路線がダメだからといって、「命令まがい」を導入しようとすると、思い通りにならないのは当然の結果だと思います。
強制力のないものは、命令ではありません。
そもそも強制力のある命令であっても、言葉だけではしたがわせることができないのをみれば、「命令まがい」の効果の有効性もわかるはずなんですけどね。
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