コンビニのペットボトル売り場の表と裏は全然違う。
バックヤードから、防寒着を着込んで薄暗い冷蔵庫に入りペットボトルを補充するあの感覚ってのはやった人間ならわかるが、客側からは見えない。
でも客からすれば表の明るいところだけが「社会」。
ハイエンドな社会から見えないローエンドな社会 - あざなえるなわのごとし
某コンビニチェーンのところで、昔やったことあるけど、そんな構造になってなかったけどなぁ。
まず、「防寒具を着込んで薄暗い冷蔵庫に入る」なんてことはしないんだけど・・・。
裏側にも扉があって、冷えてない?ペットボトルや缶ジュースを補充するだけ。小学生でもできる作業になっている。
レール(ガイド)があったり、ちょっと傾いていたりして、補充も簡単になっていて、便利な世の中になったもんだとおもっていたんですけどね。
裏側も、十分明るい世の中になってしまいましたというのも、現実なんじゃないかなぁと思う。
たとえ話なので、それが現実であろうと、そうでなかろうと関係ないんだけど、
でも、たとえ話でも否定されるような話があると、現実が違って見えるようになるというのは意外と不思議だなぁと思う。
実は、コンビニのご子息?用の訓練所がある
テキパキしてない店員は御免蒙りたい・愛想の悪い窓口対応にはクレームをつけよう・融通の利かない同僚とは働きたくない・付き合いやすい人とだけ付き合いたい――そういった私達の欲望が寄り集まり、競争社会と個人主義の流儀に基づいて具現化したことによって、社会全体を覆う淘汰圧となって私達自身に跳ね返ってきたのだろう*2。
テキパキしてない人、愛想も要領も悪い人はどこへ行ったの? - シロクマの屑籠
なんか手際のわるいバイトばかり入れ替わりで入ってくる、2階が研修所?などに使われているコンビニがあるんですが、僕の妄想では、そういう人たちを集めて、教育して使えるようにしてるところじゃないかなぁと思います。
そういうところに集めて教育すれば、以前より目立たなくなるとかはあるかなぁとは思う。
放置や許容されるのでなくて、教育されて目立たなくなるのなら悪いことではないと思う。
手際の悪いまごまごしたアルバイトも1か月もすれば、普通よりちょっと悪い程度までになっていて、その後いなくなっているので、研修施設みたいなもんだとは思ってるけど、
実際は、クビになっているとかだったら、怖いなぁって話はあるが、
そういう人ばかり集まるコンビニなんて、アルバイトの採用面接とかある限りありえないとは思うんだけど、
本当のところは確認していないので、どうだかわからない。
スーパーのレジでも、研修中ですという注意書きがある
「研修中です。お急ぎの方は他のレジに」とかいうのを数か所で見かけたことがあるので、今時はそうなってるのかもと思っています。まあ、そういう注意書きがあれば、イライラする人は少しましになるだろうし、心理的効果からいろいろメリットはあるかと思う。
で実際、そういう人のレジは、とろい場合も多くて、注意書きがなければ、今時だとイラッとする人たちも多数だと思う。
イラッとする人たちは、そういうのを避けると思うので共存出来て、結果として、とろい人を見かけなくなったとかいうのはあろうかと思う。
見かけない理由に、排除以外の工夫があるのかもしれないってことで、
社会が排除する冷たいものだと考えるか、
そうでなくて、共存できるようになっているやさしい社会と見るかは
価値観次第で変わるのでは?
そもそも、偏見の目で見ていたら、見えるものもみえないと思う。
みんな、想像力がたくましくて、素晴らしい?!
それらしい物語をつくって、共感する人たち、共感できない人たちが
あれこれ言うと・・・。
でも、現実を認識するというのは、意外と難しいのでは?と思う。
それも、一個人が、社会生活する程度では・・・。
まあ、類推はできるかもしれないけど。
もう少し、世の中を、他人を信じてみてもイイんじゃないかなぁと思う
もうすこし、若者を信じてあげてもよいのかもとも思う。自分自身が理知的で客観的で、かつ正しいと思っていて、
周りはどっちかというと馬鹿な奴ばかりとおもっていたら、
なかなか、信じようという気にはならないとは思うけど。
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