記事のまとめ
■人気者でない人が人気者になるために、よくやる手法
・話のネタを仕入れて、自分の物にして話す
・図太い神経を手に入れる
こんなの偽物だといっても、実際には多くの人が人気者になっています
■チヤホヤされるのは、中毒性がある
人気者でなくて目立たなかった人には、特に中毒性があるので要注意
■人気者でない人が人気者になるために、よくやる手法
・話のネタを仕入れて、自分の物にして話す
・図太い神経を手に入れる
こんなの偽物だといっても、実際には多くの人が人気者になっています
■チヤホヤされるのは、中毒性がある
人気者でなくて目立たなかった人には、特に中毒性があるので要注意
いか、うまくまとめられなかったので、そのまま。
これは、使えると思うものを、自分の物にする
人気者で無いものが、手軽に人気者になるにはどうしたらようか?という手法に、どこかで聞いた話を、自分の話にしてしまう手法があります。――どうしてパクるんですか。
フォロワー数を稼ぐ一つの手段。フォロワーやリツイート(転載)、「お気に入り」の数が増えると、優越感が得られるっていうのはあるんじゃないでしょうか。有名になりたい、威圧感を与えたい、みたいな。ちょっとだけ書き換えてパクツイしたら、8千回以上リツイートされたこともありますよ。その時はリア友に自慢しました。
――抗議を受けたことは。
嫌な思いをしたり、ケンカになったりしたことはありますね。複数で寄ってたかってネット上で攻めてきたり。ツイヤクザですよ。
――ヤクザって……。そもそもパクる方が悪いのでは?
正解です。はは。自覚はあるんですけどね。まあ、信者というか、僕を応援してくれる人もいますし、当時は謝罪とかはしませんでした。
パクツイ「罪悪感、徐々にマヒ」 常習者に聞く:朝日新聞デジタル
パクツイとかも、古い世代の僕にはよくわからない現象だったんですが、
そういえば、昔からそういうのはあったかもと考え出したら、そんなものかぁというのがあります。
面の皮は厚く・・・
ポストセブンの下記の記事
http://www.news-postseven.com/archives/20141113_286823.html
の内容は、わたしの下記のツイッターの書き込み
の盗用であります。インターネット上で「豆腐は白い」って書くと、「白くない豆腐もあります」「白い豆腐が食べられない人もいるんですよ!」「私の豆腐は白くありませんが」「厳密にいうと薄いベージュです」「豆腐は黒くあるべきです」「豆腐信者乙」「豆腐主義者め」「豆腐とはお前自身だ」などのリプがきます。
— まくるめ@コミティアけ54a (@MAMAAAAU) 2012, 12月 2
どうも紙媒体にも載ったみたいですが、どうなんでしょうかね。
人から聞いてこれを見たぼく(まくるめ)が、ライターのはあちゅう氏にウザがらみしたことが発端で、多少、拡散しました。そのような経緯です。
はあちゅう氏との転載および関連の騒ぎについて : 食人大陸の悲劇
はてなブックマーク - はあちゅう氏との転載および関連の騒ぎについて : 食人大陸の悲劇
人気者でなかった人間が、人気者になる条件はもうひとつあって
面の皮が厚くなることかもしれない
※はあちゅうファンの人ごめんなさい。本当はいい人なのかもしれないのに、こんな取り上げ方をして・・
@MAMAAAAU まくるめさん、はじめまして。クソリプの解説記事において、豆腐の例が非常に的を得ていたので、ご紹介させて頂きました。ご気分を害されていたら、大変申し訳ありません…。もし、掲載の仕方に問題があれば大変申し訳ありませんが、編集部にお問い合わせ頂ければ幸いです。
— はあちゅう(伊藤春香) (@ha_chu) 2014, 11月 13
これをよんで、僕も大人の対応というのをよく勉強すべきかなぁと思いました。(文章の)見た目は美しい。
八百屋お七
お七火事といわれるものには、天和2(1682)年1月27日の火事と同年12月28日および天和3(1683)年3月2日の火事(『天和笑委集』)説があり、現在のところはっきりしていませんが、藤口透吾氏は、天和2年1月の火事がお七火事であり、12月の火事のときにはお七は、伝馬町の牢につながれていたとしています(『江戸火消年代記』)ので、以下は藤口説によって話を進めることにします。
天和元(1681)年2月の大火で焼け出された八百屋太郎兵衛一家は、駒込の円乗寺前に仮小屋を建て、しばらく住んでいました。そのうちに、娘お七は、寺小姓の左兵衛と人目を忍ぶ仲になっていましたが、皮肉にも太郎兵衛の新居が元の場所にできたので、門前の仮住いを引き払わなければならなくなりました。その後のお七の胸の内は、いまさらいうまでもありません、そこに現れたのが、ならず者の吉三郎で、彼はお七の耳にささやきました。「それほどお小姓が恋しいのなら、もう一度、家が火事になれば円乗寺に行ってられるぜ。」
恋は盲目のたとえどおり、お七は前後の見境もつかなくなり、明けて間もない1月のある日、自分の家に火をつけ、円乗寺へと駆け出したのです。
東京消防庁<消防マメ知識><消防雑学事典>
恋は盲目になりがちだけど、
人気者に憧れている人(恋している)人も、かなり盲目的だとは思う。
金に恋している人たちも、かなり盲目的なのもその通りだと思う。
でも、そこには、良い悪いは別として
「純粋な思い」みたいなものがあるのかもしれないとは思う。
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