2. 悪化した人間関係を取り繕おうとしない
3. 自分のミスや短所についてあれこれ悩まない
4. 他人のことを心配し過ぎない
5. 自身が作ったルールに縛られない
1. 助けを求める
助けを求めるというのは、「人の善意」を信じる行為なので、仮に助けにならなかったとしても、その行為は心を豊かにするかと思います。確かに助けを求めても無駄、無意味ということも多々あるし、助けてくれる人なんてマレだというのもあるとは思います。
だからこそ、「人の善意」を信じつつ、ほんの少しでも手助けしてくれたら感謝する気持ちを持ちことが、たぶん、人生を豊かにするかと思います。
助けを求めるとまでは行かなくても、ちょっと聞くということも重要なのです。スマホで検索すればすぐにわかるでしょうみたいに厳しい言葉がかえってきたとしても、「ちょっと聞く」行為がダメなことだとは言えないわけです。
「聞き上手」というのがあるように、「答え上手」みたいなものもあるわけです。
助けを求める精神は、助けを求めるという直接行為だけではなくて、助けに応じるという行為にもあるわです。
と、いろいろ言えるわけですが、まあ、たまには人に甘えてもいいんじゃないの?って話ですね。または、たまには人に対して甘くてもいいんじゃないの?という反対の面もあります。
得だから、人に助けをとか
時間が無駄にならないから、人に助けを
とかとは、同じ行動でも、ちょっと違うかなとは思います。
2. 悪化した人間関係を取り繕おうとしない
悪化した人間関係をもとに戻すのには、時間がかかることが多いんですね。修復しないでなくて、時間がかかることを覚悟したほうがいいし、すぐに結果が出ないからと言ってあきらめる必要はないって面はあるかと思います。あとは、縁があるのなら、また人生のどこかでつながることもあろうというのもあるかと思います。
・親子関係
・男女関係
・上司部下の関係
・嫁姑関係
・友人関係
ほかいろいろ・・。
・信頼関係があれば、そもそも悪化しない
・悪化した場合でも、信頼関係があれば修復は短時間で終わる
つまり、短時間で修復できないものは、根深いものだということです。
関係が切れない限り、縁が断ち切られない限り、修復は可能かもしれないので、最低限の人間関係を維持するだけというのも暫定的な対処としては正しいような気がします。
3. 自分のミスや短所についてあれこれ悩まない
短所というのは、長所と同じく、そんなにすぐに変化しないんですね。これも、時間かかることを覚悟する系の話なので、すぐに結果を求めないという心境が大事だと思います。結果だけを優先するのなら、短所を直すよりも、短所を隠すとか、短所が目立たないようにするとかそういう路線のほうが有利なんですね。短所が表面化しにくい職種をえらんだり、仕事をしている限りは、問題ないって話です。
ミスも一緒で、気を付ければミスらないという部分だけに気持ちが行くと追い詰められたりするんですね。ミスをしても、カバーできれば、フォローできればOKとかいう価値観だと、ミスをすることへの心理的負担が軽くなります。
確かに大きなミスをすれば、致命的になるかもしれないけど、何回も大きなミスなんてできないわけで・・。何回も致命的なミスをする場合もあるとは思うけど、何回もミスれるような人は逆に恵まれているわけです。
で、その大きなミスでさえも、カバーできないとかそういうことはマレで、少しのペナルティーを受けるだけでOKっていう現実もあるでしょう。
あれこれ悩むのがよろしくないのは、悩んだとしても精神的な安定が得られるかもしれないが、状況が変わるわけがないという部分にあると思います。
4. 他人のことを心配し過ぎない
これも、「他人」を信じるという行為につながっています。親切心であろうとなかろうと、心配しすぎっていうのはよろしくないと思うんですね。もっと信じてあげても良い部分っていうのがあるということです。
「未熟だから、幼いから、心配だ」という言葉の裏には、信じられないという部分が多分にあるかと思います。当人に任せて、温かく見守るっていう姿勢も大事だと思います。
心配しすぎの人がとる行動って、たしかに表面上は良い結果がでたりするけど、それって延々と心配しつけないとでない結果であったりしないか?ということなんです。
5. 自身が作ったルールに縛られない
・ルール・習慣
・ポリシー
・伝統
いろいろあるとおもうし、こうすれば人生楽しく生きれますとかそういうライフハックもあるかと思います。
で、忠実にそれを守ろうとするほと、結果が出なくなるということになりがちです。
悪習慣だから、時間が無駄になるわけでなくて
状況関係なく、一定のルールを適用して処理するから、時間が無駄に流れがちになるだけなのです。
たいていのルールというのは、暗黙の前提条件があるので、その前提条件がある場合にのみ有効に機能するという一面もあろうかと思います。ただ、その暗黙の前提条件は分かりにくいし、ルール自体が汎用化されてしまっているので、その部分を考察することもできません。
参考
確かに、塵も積もれば山となるのですが、若いころ無駄にした膨大な時間は、いくら後悔しても取り戻せません。今振り返ると、筆者にはシステマティックに時間を捨てていたような悪習慣がいっぱいあったような気がします。
・助けを求めない
・悪化した人間関係を取り繕おうとする
・自分のミスや短所についてあれこれ悩む
・他人のことを心配し過ぎる
年を取って気がついた、若いころの大いなる時間の無駄 | ライフハッカー[日本版]
これを視点を変えて書き換えてみました。
時間が無駄だからするなっていうのは、ちょっと受け入れがたいけど、でも書いてることは別に普通だという感じですね。
人生の無駄
話のネタになるということで、無駄にはなりませんとかそんな論理はいっぱい作れるし
まあ、無駄が悪いことなんてことはないと思うんですね。
人生を無駄に過ごしてきた人の話も、
人生を効率的に過ごしてきた人の話と同じぐらいか、それ以上に
楽しいものがあると思いますよ。
あとは、内容でなくて、話術の問題だと思います。
ネガティブな内容だからとかじゃなくて、たんに話術。
人に受け入れやすい方法論で話すとかそういう系統の話。
逆にいくらポジティブで内容ある話でも、
自慢話っぽい味付けや、武勇伝っぽい味付けだと、ダメな場合もあるでしょう。
ただこれも、人柄とかキャラクタとかの要素もあって、同じ味付けなのにOKって言う場合もあるわけでね。
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