この件でネット上で当事者を批判するのはおやめなさい。つまりですね、年寄りの思慮深い話を聞きつつも、
赤の他人の失言をあげつらって公然と批判するというのは、実は非常に難しい事なのです。私よりも年齢を重ねた人でさえも、きちんと出来ない人は少なくありません。その割に、得るものはあまり多くありません。
批判自体は簡単です。ただし、自身の品位や人間性を損なわずに批判するというのは、これは極めて高度な技術に加えて、強い精神力も求められるのです。
これが無いままに安易に批判する。手軽に正義感を振りかざせるので、やがてそれがクセになっていきます。クセになっていくとどうなるか。他人の失敗が許せない人間になってしまいます。そして失敗を悪い事だと思い込み過ぎて、失敗するくらいならば何もしない方がいいと考え始めるようになってしまいます。
人間とは不完全なものです。肝心な時に大きな失敗をしてしまう事もあります。
何かに挑んで、成功する事もあれば失敗する事もある人と、他人が失敗したときだけ批判し、何もしないが故に何も失敗しない人。みなさんはどちらになりたいですか。
某女子大のとある講義では、初老の女性講師が最初の5分か10分ほど世間話を..
失敗を恐れずに、ネットで批判することも大事かもしれないってことです。
多くの人たちがネットで思慮深く批判するのを辞めれば、何も変わらないし、世間も騒がないとたかをくくるようになるかもしれません。
世の中を変えたいと思えば、失敗を恐れてはいけませんし、批判を恐れてもダメです。
しかし、単なる怒りの為にネットで発言し、そのことで品位を疑われたり、就活などで不利になったりしては、たまったものではないでしょう(^^)。
正しすぎる人は、えてして、組織から嫌われますから。
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ヤジの件にしても、金目の件にしても、「失言」というより「本音」というかもっと根深いものがあるかと思います。ヤジのほうは、ヤジを使った議論方法や、そもそも女性に対する偏見?があるだろうし、
金目のほうは、金の力で、弱者に嫌なことを押し付けようとする姿勢。
で、それはその失言をした人だけでなくて、世の中の多くがそういう価値観を許容していることにあります。
金目のほうは、結局は、国?国民が、弱者に押し付ける結果になるのは明らかで、逆に金が払われるだけでもマシな感じだと個人的には思います。
なで、弱者に押し付ける結果になるかといえば、だれもが嫌だからですよ。引き受けないからですよ。
国民と言えば他人事だけど、つまり僕を含む人たちという意味です。事実上、黙認してるわけですからね。
批判する、叩くのには資格はいらないとは個人的にはおもうけど、自己の傲慢なところも少しは意識したほうがよいとは思う。
しかしながら、全ての人が謙虚になって、批判する資格がないと批判しないとかになると、世の中は逆にわるくなるでしょう?
だって、世の中には、聖人君子的な人なんて一握りもいないわけですから。
正義や正論をかざしても、品位あるかどうかは別
人間性もべつ。しかし、品位や人間性を意識しすぎると、言動を抑止する可能性はあります。
「品位や人間性」と「批判」は相性が悪いんでしょう。
思慮深い年寄りは、世の中を変えることができない
100%そのまま、その価値観を取り入れないほうがよい。処世術や世の中の理不尽なことを受け入れる手法とかに関しては有効だとおもうが、
これから、世の中を作り出していこうという思想には、ちょっと向かないと思う。
世の中がこのまま変わらないで、この状態を維持していけば幸せだという状態だと、そういう思想はイイ感じにフィットするとは思う。
「初老」は何歳?
A.「初老」ということばは、何歳ぐらいの人のことを指すのでしょうか。
Q. かつては、40歳ぐらいの人のことを指していました。ただし寿命が長くなった現代では、「初老」が当てはまるのは60歳ぐらいからと考える人が多くなっています。
「初老」は何歳? | ことば(放送用語) - 最近気になる放送用語 | NHK放送文化研究所
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