・小池一夫 氏のツイートから、現代社会の闇を感じた一幕 - Togetterまとめ人をいじめる人って、「育ちが悪い人」の証なンだよ。因みに、僕の育ちの悪い人の定義は、数日前にも書きましたが、「育ちの良し悪しとは、厳しく躾けられたとか、学歴や職業なンかではなく、結局は、どれだけ親や周りの人に愛されて育ったのかということなンだと思う。」です。(小池一夫)
— 小池一夫 (@koikekazuo) 2016, 2月 6
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僕が思うのは、「いじめをする人間は最低だ」というのに、色付けをすると変なことになるんじゃないかなぁと思う。
人間最低だけど、友達多く、幸せで、親からも愛情を十分注がれてる人たちなんて、ゴロゴロいるんじゃないの?
・いじめ
・パワハラ
・セクハラ
・心理的に圧力かける
・金銭的に圧力かける
・権力をかざす
・正論をかざす
・大義をかざす
「あの人育ちが悪いね」というのは、いじめ系にもよく使われる言葉であるのが、何とも言い難いところ。
いじめをする人間が、幸せでヌクヌクしている現実について
社会的制裁を大きく受けない限り、その手の人間って、家族をもち幸せに暮らしてますよっていう現実があろうと思う。でもって、そういう人でも、親として子供に愛情を注いで育ててる人ばかりだと思う。まず、いじめとかその系統は、心の闇のはけ口やストレス解消以外に、実際そういう手法を使うと、相手の言動を操作することができて便利だということがあります。
ロボットとか奴隷とか召使とかしういう感じですね。
人間関係のパワー合戦で勝てる人は、コスト安く幸せになりやすいっていうのがあるとは思う。
倫理観高い、コンプライアンス高いと、いろいろ制約される
・制約される・コストかかる
で、そういう路線をとるのは、
・社会的制裁が怖い
・美徳感
あたりだと思う。
育ちが良いと、なぜ「いじめ」をしない傾向にあるのか?
たんに、恵まれているからです。追い詰めてあげると、いじめとかそういう系統をする人たちに変身するかもしれません。
「デスマーチの現場」とか「ブラック企業の現場」とかを見てみれば、よくわかるかと。
余裕があるときは、善人です。
でも、余裕がなくなったら、善人のふりをするのが精いっぱい。
ここで、いつまで「善人のふり」ができるかですね。
で、「善人のふり」をするのは、美徳感とか当人の何らかのポリシーだと思います。
まあ、善人のふりなんて捨てたほうが身動きできて、自己を守りやすいんだけどね。
で、余力のない人たち、力がない人たちから、早々に「善人のふり」をやめだすと思います。
で、その状況をみて、育ちが悪いんだといえるかどうかといえば、
育ちが悪いというより、弱者だからという部分もあろうと思います。
いじめとモラル感とかにすればいいかとそういうのに置き換えればいいかと思います。
もちろん、余力があろうと、「善人のふり」さえしない人たちもいますが、そういうのは人間の屑でしょう。
育ちがわるいとかそういう論路を超えてる人たちなんです。
どんなに親の愛情を注がれても、どんなに恵まれていても、なぜかそういうことをする人たちがいるわけです。
だから「人間の屑」なんですね。
グッピー理論
育ちの良い人だけを集めても、なぜか「いじめ」が発生するというのはあるとは思う。社会構造、社会システム、人間関係によるものなんじゃないかなぁと思う。
つまり、個々の問題というよりかは、集合体の問題なのかもしれないなぁとは思う。
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