1)今の日本で 本人・家族が希望しなくてもルーチンで延命治療が行われるという誤解
2)モルヒネという、むしろ患者の生活の質を挙げるために使用されている薬が、積極的安楽死のとどめのために使用されているという誤解
3)患者の尊厳を保つために延命治療の是非を考えるべきという論と、医療経済の危機のためお金がかかる延命治療を今後どこまでするべきかという論を混同して議論することの危険性
ちきりん氏の「終末期医療について考えよう!」によせて|Aprildiamond|note
まずは、上記引用の(3)が重要な部分なんですが、これって国もNHKを含むマスコミもちきりん氏も、わかってやっていると思うんですね。
「混ぜるな危険」というのを知っているのに、わざと混ぜるんですよ。
この手の記事(論調)が賛同者を集めて人気になる理由は、簡単な話だとは思います。
1.医療費が抑制されることでメリットを受ける富裕層(および、国)
2.終末医療を現実視できない、医療費が無駄に使われていると思っている若者
3.終末医療に金をかけたいが、お金がない庶民層
4.倫理観とお金のはざまにいる、家族たち
2.終末医療を現実視できない、医療費が無駄に使われていると思っている若者
3.終末医療に金をかけたいが、お金がない庶民層
4.倫理観とお金のはざまにいる、家族たち
国を始めちきりん氏などは、終末医療の対象者になっている人たちを気遣ってるわけではなく、またその家族を気遣ってるわけではなく、国の医療費負担が破たんしないように、またこれ以上拡大していかないことを心配しているだけ。この路線の人たちが1なんですね。
自分かわいいっていう話なので、正直こんなのに賛成できる人たちは、人間が腐っていると僕は思っている。
1の人たちは同時に2の若者をたきつけ賛同者に組み入れ、そして3の金に困っている人たちに大義という救いを与えることで賛同者を増やそうとしているわけです。
お金がない庶民たちです。「本当に素晴らしい終末医療は、昔ながらの家で死なせてあげることだ」みたいな大義がほしいんですよ。
実際、家でいるのと、病院でいるのとでは、何かあったときに死ぬ確率が明らかに違うわけで、家で急変して救急車を呼んでも手遅れになる確率が高くなるので、安らかに死んでいただけるっていうことになるわけです。
あと死ぬだけの人たちに金かけられないっていう価値観と、でも人間としての倫理観とのせめぎあいで、便利な大義がほしんだという部分があるわけですね。
確かに住み慣れた家で死にたい人もいるでしょう。
でもそういう発言をする人たちは、実は自身が選択できる選択肢の中ではそれが一番だからという話なのかもしれません。
金があるなら、話は違うって言う部分はあるのか、ないのか?です。
あと、お金がなくてしてあげられなかったという家族の後悔とか悲しみの気持ちを、大義や美談で消してしまおうなんて、ある意味身勝手な感じだとは思います。現実を美化して、なかったことにするんじゃないと思う。
よくある話では、兄弟(姉妹)で、親の看病をだれが見るかでたらいまわしするとかそいういうのと似てると思う。でも、死んでしまったら、そんなことも忘れて、なぜ生きているうちにできることをしてあげられなかったのか?みたいなことを平気で言い出すような感じ。
別にそれが悪いとも思わないし、それが人間なんだとは思うけど、美化するのだけはやめたほうがいいんじゃないかなぁとは思う。
美談や大義に頼らないで、医療費を削減しないと
国が補償できるのは、生活保護と同じで最低限です。終末医療もここまでしか国としては支援できません。
それ以上はぜいたくで、金持ちのみが許された選択肢です。
というのをはっきりさせるべきかとは思う。
というは、はっきりしてるんだろうけど・・。
でもって、そういう現実を直視させないように、美談と大義が逆に必要なのかもね。
もし倒れて意識不明になった時、救急車で病院へ搬送することを拒否することは可能ですか?
私は無保険でお金が無く、もし救急車で運ばれたら医療費なんてとても払えません。
もし倒れて意識不明になった時、救急車で病院へ搬送することを拒否することは... - Yahoo!知恵袋
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