・はてなブックマーク - 『日本の大人の男には、「金を持ったにすぎない子供」の男が多過ぎる。』 - Togetterまとめ
まとめしか見てないので、発言の意図がわからないけどね。
タイトル自体が、誘導している感があるし・・。
『日本の大人の男には、「金を持ったにすぎない子供」の男が多過ぎる。』 - Togetterまとめその欧米様のTVゲームのメインターゲットの年代知ってるか?っていうか「成熟した大人」とはなんぞ?そして"「成熟した大人」でなければいけない"という青臭い選民主義的な考え方こそ子供じみているとは思わんかね?
2015/10/04 23:48
書き終えてから見たけど、僕の感覚もこんな感じ。
「こうでなければいけない」というものを、時代は常に壊してきたわけなんだけど
いつの時代も、それとは反対に「こうでなければいけない」という人たちが存在するというだけの話だと思う。
結婚して一人前
子供を産んでこそ一人前
家庭を持ってこそ一人前
そういう美徳感に関しては、もう今は表だっていうとダメな雰囲気になってるだけで
それと似たような価値観というのはいろいろあって、そういうのを言い続ける人たちがいるってことだけだと思う。
まあ、気にしてもしかたがないというか、時代の流れをみたら放置していても問題ないかもしれない部類で、スルーしてたらいいかもとは思わなくはない。
たとえば、箸は塗り箸でないとダメなんていうのも
結婚して一人前とあまり変わらないものかもしれないってこと。
選民主義的には一見見えないんだけど、実際にはそういう思想だということ。
・簡単にできること
・多くの人がやっていること
は「選民」的には見えないだけ。
比較をしないとダメなようなものって、選民的になりやすいと思う。
塗り箸は素晴らしいというだけならまだしも、
そこにプラッチックの箸を比較として持ってこないとダメな論調は
何かを否定することによって、何かの素晴らしさを表現しているという点で
選民的なのかも。
あと、箸自体の話をしてるのでなくて、その持ち主(使い手)の話になっている時点で、選民的な部分があると思う。
その箸を使う人は素晴らしいって話なのでね。
大人という意味
年寄りの横暴な発言も、年寄りの美徳感の発言も
そうですなぁと賛同してあげるのも、大人なのかもしれないけど。
でも、年寄りにそんなこといったら、気分悪くするでしょう?
そうですよ、そういうことをあえて言わないのが大人なわけで、
日頃の態度が子供じみていても
ピンクの箸でご飯を食べていても
そんなの、趣味趣向の範囲だと僕は思う。
自分と100%同じ意見の人はいない。盲信は何事でも危険。しかし、異論、反論と唱えるときにでも、その根底に暖かいものがなくてはと思う。抜き身の刃みたいな荒ンだ気持ちで発した言葉に、ああそうですねと素直に頷けないでしょう?僕の経験からすると、そういう言葉を発した本人が一番傷つくのだ。
— 小池一夫 (@koikekazuo) 2015, 10月 3
結局、僕と同じことを言ってるとは思うけどね。
そう思っていても、そうは見えない、そうはできないっていうのが普通だとは思う。
でも、この人の発言もたいがい、抜き身のような。
あと、傷つくかどうかは、その人のメンタルな部分に依存するので、
自信家であったり、厚顔無恥だったりしたら、ぜんぜん傷つかない。
あと、自身が正しいと思っている人たちも、傷つかない。
大人じゃなくて
まとめの後半に当人もかいているけど、大人じゃなくて、ダンディズムとかそういう美徳感覚なんじゃないのかなぁと思う。
まあ、「自分は違うっていう部分が強すぎる発言」は、反感買うのは当たり前の話だと思う。
歴史的にみるとダンディは、とりわけ18世紀後半から19世紀の英国において、中産階級の出自であるにもかかわらず、貴族的な生活様式を模倣しようとしばしば努めた。それゆえダンディは、一種のスノッブであり、またある意味においては、平等主義の原則に対して非政治的に抗議しているとも見なしうる。ダンディズムはしばしば懐古趣味から、「完璧なるジェントルマン」すなわち生まれつきの貴族を理想に、封建的な価値観ないしは工業化以前の価値観にしがみ付くこともあった。
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1990年代後半の日本では、粋なセンスを感じさせる男性的な女性ファッションのことを、ダンディ・ルックと呼ぶこともあった。
ダンディ - Wikipedia
昔風に言うと、粋かどうかの話で、大人か子供かの話ではないと思う。
ダンディズム気取っている、見た目はカッコいいけど、
嫌な大人も多々いるわけで、そういうのは、僕の美徳感覚では、嫌な奴。
大人という名前の権威主義
権威主義的な用途にも、「大人」っていう言葉が使われたりすることがあると思う。大人としての権威?を設定して、それに該当しない人たちは子ども扱いするってことです。
そんなことをしたら、反発されるのは当たり前だとおもうけど、そういう人たちはよく理解できないんだと僕は思う。
あと、権威主義に反抗する人たちは、子供だっていうレッテルを貼られやすいので、そういうのにアレコレいっても無駄な気はするけどね。
だから子供だんだっていう論理になり、いつまでも反論できないっていう図式が形成される。
・・・
伊藤さんのおっしゃることもよくわかります。しかし、箸や飯茶碗を美しいものを選ぶのなンて、金のかかることではない。横暴と言われるかもしれませンが、大人はピンクのプラスチックの箸ではなく、塗りの箸で飯を食う姿を子どもに見せるべきなのだと思うのが僕の信条です。(小池一夫)
— 小池一夫 (@koikekazuo) 2015, 10月 2
@rotschiff おおありです。家でちゃンとした箸と茶碗で飯を食べて、アイドルのライブに行くなんて、最高にカッコいいじゃないですか。
— 小池一夫 (@koikekazuo) 2015, 10月 2
「ピンクのプラスチックの箸」ていってるけど、実際はプラッチックかどうかでなくて、そう見える箸っていう話だと思う。食洗器に入れれない箸は困るので、塗りの箸?でも可能になっているものがあるそうな。それって本当の塗りの箸なのかどうか不明だけど。本物の塗りの箸だと、食洗器に耐えれない気が・・・。
そんな不便な箸は、いらないっていう大人が多数いると思う。
まあ、自分で洗ってくれるのなら文句言わないとは思うけど・・・。
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