なんだか、正論らしきことをいうおかしな大人が多い世の中で、大丈夫なのかなぁと思う。
後付論理でそれらしいことを付け加えて強化しているだけで、ダメな理由になっていないと思う。
「オバケがくるよ」ということでいうことを聞かなくなるほど、世の中のことがわかりださないと、なぜやってはダメなのか?とかそんな論理的な話を理解できるわけないんですよ。
万引きしたら、警察に捕まるよというのとどの程度違うかなんですよ。
警察に捕まるのは嘘でなくて、お化けが嘘だからとかそういう馬鹿なことを言ってはダメです。
万引きしたらダメなのは、警察に捕まるからダメなんじゃないってことをわかるにもすごく時間がかかると思う。
大人になっても、万引きがダメな理由として、犯罪だからとかそういう範疇の人たちもたくさんいるわけですよ。
でもとりあえず、万引きしなければ問題ないってことは同じです。
「オバケがくるよ」って子供に言っていい? - スズコ、考える。物心つくまで恐怖でコントロールするのは有意義。クチャラー等悪癖は事前に恐怖でコントロールしておかないと物心ついてからだと矯正するのがすごく難しい。
2015/10/06 21:09
子供によるかなぁとは思う。
学校の先生が怖いから悪いことをしない生徒もいるわけだけど、そういう先生がいなくなると悪いことをするとかもあるけど、じゃぁ、怖い先生を配置するのはダメなのか?とかいうのは別問題。
だって学校も秩序を維持しないとやっていけないでしょう。
「オバケがくるよ」って子供に言っていい? - スズコ、考える。理想論にしか思えない。理由を諭したって聞かないときは聞かない。緊急性の高いときだけオバケを使うこともある。そしてオバケ自体あっというまに効かなくなる。
2015/10/06 19:03
警察につかまるよ、犯罪だよ、人生台無しになるよとかいっても聞かない子供?青年?大人も多いわけなんだから・・・。
どんな方法論も限界があるので、それだけに頼ってはダメだという話と、年齢に応じて、時と場合に応じて使い分けましょうっていうのが現実的だとは僕は思う。
よく、言い聞かせるというハラスメント
なぜダメなのかを言い聞かせることで、理解していうことを聞くようになるなんてことはないと思う。これ、会社でもありますよね。なぜダメなのかを説明するけど、それが逆にハラスメント的になっている場面って・・。
理解させたら、やらないとか、ダメなことをしないとかそんなことは理想論。
・暴力を振るわない
・感情的にならない
・論理的に説明する
この3条件を守られたとしても、子供がストレス感じないのか?とか教育効果があるのかは微妙なこともあると思う。
まず、子供はやってはいけないことだと知っているのにやっていることもあるわけで、そういうときこそ、お化けが来るぞ!!みたいな軽い感じで、やめなさいっていうほうが良い場合もあるのは明らかでしょう。
学校教師に、上記のような3条件で、あれこれ諭されたりするよりも、一喝で、こらって怒られるほうがマシな場面もあるでしょう。
たとえば何度注意しても廊下を走っているとして、そのことに関してなぜ何度注意してもそういうことをするのか?とか廊下を走る危険性をあれこれとかいうのは、なにを目的にしているかなんですね。
たぶんそれで効果があるのは、説明で説得したんじゃなくて、小うるさいからという話かもしれないってことです。
幼い子供も、なにかいけないことすると、何度も言い聞かせるみたいなことをしたとしても、小うるさくいからもうやめておくみたいなロジックになりがちだということです。
だって、幼い子供だよ?大人じゃないんだよ?
反省会をすれば、なんでもよいわけではない
まず、対等の関係でない場合における反省会は、反省会じゃないんですよ。強者側の意図を組むことを要求しているだけ。
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