個人バッシングをしていると思っている人たちが、実は業界(社会)をよくしているかもしれないという仮説です。
良識ある下手な擁護は、インテリもどきが増えた現代においては、害になるのかもと・・・。
個人攻撃は、よくない?!
個人が責任を取らされる、業界(社会)から断罪されるケースでたしかに、トカゲのしっぽ切りになる場合も多々あるが断罪されないよりかは、断罪されるほうが業界(社会)や組織にも影響をあたえて、マシな世の中になることも多いかとが思う。
一時しのぎ的に逃げてたとしても、その矛先が業界(社会)や組織に向きかねないとなれば、対策を講じるでしょう。また、個人がそういう目にあいたくないために、属している集団に働きかけたり、また不利になりそうなことをその手の事例をあげて拒否したりできたりもするでしょう。
だから、個人バッシングが悪いとは言い切れないわけです。
じゃぁなぜ、個人バッシングに成り下がっている、個人の責任の問題じゃないという人たちが出てくるわけでしょう。それはひどすぎる個人バッシングを見たくないという人が多数かもしれないが、一部の人たちは別の目的を持っているのかもしれません。
誰もが納得しそうな大義をあげて、論点をずらす、問題をうやむやにするとかそういうのは現代においては日常茶飯事というほど使われております。
個人の責任の問題じゃないといっても
個人としても責任は負わないといけないという立場と
いやいや、組織や業界(社会)の問題だから、本当は個人としての責任なんてほどんとないんだよという立場が
存在し、
この問題をうやむやにして、現状をあまり変えたくない人たちとかも、この路線に乗ったりするわけですね。
問題が大きくなれば、業界(社会)がよくなるか?といえばケースバイケースで
話が大きくなりすぎると、かえって何もできなくなるということも多々あるでしょう。
個人の責任は問いやすいけど、組織や業界(社会)の責任を問うのは難しいことを考えれば、すぐにわかる話です。
個人の責任の問題でなくて・・・
これのよくない結果が、実際にその行為を行った人が「うやむや」という事実上、免責状態になることです。また、業界(社会)や組織が悪いってことで、その人は何も悪くないというのを信じる人たちが出てくるわけです。
でもって、同じような行為をした人も、何も悪くなかったという風に流されるわけです。
実際は、当事者個人にも何割かの責任があり、
また同じような行為をした人も、何らかの責任があるのかもしれないのに
なぜか、スルーできてしまうという状態を作り出すことができるのです。
トカゲのしっぽ切りと逆の現象が起こり得るわけです。
やったもん勝ちの世界が発生するわけです。
簡単にいうと、みんなもやっているから、俺(私)も悪くないという論理です。
周りがわるいから、俺(私)は何も悪くないとかも似たようなものです。
なぜ、良識派がだめになったのか?!
「善意や誠意に訴える」良識派であるためには、上記でなければならないはずなのに
「大義で圧力をかけて黙らせる」
という風になりつつあるから、だめになってるのではないか?と個人的には思う。
あと、良識派が多数派になった時点で、もう後者になる可能性が高いので気を付けたほうがよいとも思う。
良識派であってもなくても、少数派だとか、多数派だけで声を出す人は少数の場合は、声を上げるべきだとは思う。
それが、いろんな理由をつけて、黙らそうとされても・・・。
スポンサーリンク
コメントを残す