徴兵制なんて仮にできても、バックレれば(逃げれば)よいとかいうコメントをどこかで見かけたけど、そういうことをさせないようにするのが社会(集団・会社)なんだと思うんですね。
「逃げれる」と考えてる人たちは認識があまいと個人的に思う。
昔だって、本当は「逃げる」のは難しかったと思う。一升瓶で醤油をとかいう話を聞いたけど、いまどきなら、そういうことをみんなすることになれば、対策すると思う。
「非国民」という言葉を使わなくても、同等のことは起こると思う。
たとえば、「利己的」「自分だけ良ければいいのか?」「義務は果たせ」みたいなものでも十分代用可能。
召集令状を無視してバックれた家族の話が「非国民」と炎上して削除 - Togetterまとめ
- [後で追いかける]
炎上するほどの内容だったのか疑問なんだが。つか、これを過去の犯罪自慢と受け取るのは、叩きたいがための無茶な正当化に過ぎないだろう/消えてる、、
2015/08/18 14:11
正当化だと思う価値観とそうでない価値観があるということで、どちらの価値観にたちかによって違うと思う。
だって、法律で決められたことを守らないのは、犯罪だといっても問題ないわけだし・・。
召集令状を無視してバックれた家族の話が「非国民」と炎上して削除 - Togetterまとめこれは戦時に限らず戦後から日本にずうっと蔓延していた「空気」の問題。みんな心の底ではどこかで強い違和感を感じてるのに、空気に逆らったら社会的に抹殺されるから恐くて出来ない。空気は抜け忍を絶対許さない。
2015/08/18 13:05
日本だけじゃないとは思うけど・・・。
原発事故の時も、なんかそういう空気が流れていたような気がするけどね。
一部の人から放射脳と揶揄されると思われる僕ですが、実際、事故直後とかのmixiみてたらそういう感じでしたね。
たとえば、九州に住んでいる両親の家に春休みの間だけ生かせるなんて、配慮に欠ける、非常識、かえって子供に負担がかかるとかで、なんかバッシングみたいなことをされていた記憶があります。
ということで、
・春休みの期間、九州の実家で過ごすのも良い経験になるのではないか?
・リスク軽減という意味では、問題がないといわれていても、九州で過ごすほうがリスクが低いっていえると思う
・何もない時期で、春休みの短い間だけ、九州の実家で過ごすとかいっても、誰も何も言わない
とかちょっと日記に書いたら・・・。
まあ、バッシングにはあいませんでしたが、なんかそういう普通のことでさえも書きにくい雰囲気はありましたな。
本当はそう思っていても、誰かに言ってもらえない(肯定してもらえない)と自信が持てない、
本当はそうしたいけど、それを支持できる論理がほしいとか
そういう人たちが少なからずいた気がします。
逆にそういう不安から、自分たちと違う行動をとる人たちを非難して、
みんなでわたれば怖くない赤信号みたいな路線に持ち込もうとしている人たちもいたような気はします。
召集令状を無視してバックれた家族の話が「非国民」と炎上して削除 - Togetterまとめ徴兵制あり得ずという人たちこそ、こういうところに徴兵制を歓迎する土壌があるという事を直視すべし
2015/08/18 07:38
「徴兵制ありえず」と言っている人たちの思考はよくわからないが、
たぶん、ありえないんだけど、仮に「徴兵制」というのが民主主義のルールで決まったとしたら、
それに従わないとダメっていう人たちだと思う。
ここで、決まった時に、「徴兵制はおかしい」と反対する人たちではない可能性はたかいと思う。
「徴兵制はあり得ない」という言葉で、そういうことを考えさせるのをやめさせるのが目的だからだと思う。
ありえた場合は?という議論は、ありえないという立場では無意味なんですからね。
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