選挙に行くことは、本当に意味があるのかなぁ

  • 投稿 : 2014-12-15
  • 更新 : 2015-02-06
選挙に行かない理由は人それぞれで別に何でもいいんじゃないかな。
それよりツイッターとかで選挙行け行けって啓蒙してくるんとか何とかならんかなとは思う。
選挙に行かない理由は人それぞれで別に何でもいいんじゃないかな。 それよ..

選挙に行かない理由が「めんどいから」とか「興味ないから」とかでも
別にいいと思うんだよね。
なんかもっともな理由を並べてないとダメみたいな風潮があるのがちょっと。
選挙に行かない理由

勉強しろとか、将来の為に貯金しろ系と同じなんで、スルーするしかないとおもうんだけどね。

みんなが選挙にいけば、世の中が変わると信じ切ってるからではないか?と思う。

たとえば、投票率が低い場合は、保守とか組織票を持っているところが強いらしいけど、
どれも選べないから、保守とか組織票の人に投票するつもりなら、もしかして投票に行かなくても同じかもしれないとは考えられる。

じゃぁ、今回は寒いし、投票行くの辞めようかなぁと思ったとしたら、それはダメなのかなぁ?という疑問はある。

みんながそう思うからというのは危険なんだけど
実際に投票に行ったときに、保守とか組織票の人に入れるんだったら、投票率高めで、結果が同じとはならないか?って話ですね。小選挙区制度のばあいは特に・・・。

1.選挙に行かない
2.選挙行くが白紙投票
3.選挙に行が保守か組織票の候補者に投票

3は選挙の雰囲気であくぁるだけで、
ある一定条件がそろえば、1,2と同じなんじゃないかなぁという疑いがぼくの中にはあります。

本当に、選挙に行くことは意味あるの?

投票した人が、たぶん絶対に当選しないだろうなぁと思う時には、
選挙に行くことに意味があるのかどうかを疑問に感じがちだと思う。

実際行っても、行かなくても、当選しないんだから。

また、逆に絶対当選するだろうなぁという人に投票するのは無意味だと感じることもある。
だって、一人ぐらい投票しなくても、その人は当選してしまうのだから。

まあ、選挙に行くことに意味があると信じたい人は、
選挙にいっても意味がないとおもうのと同じぐらい愚かなことかもしれないとも思う。

愚かさは、行動でも評価されるべきだけど、結果でも評価されるべきなんだと思うからだ。

僕の頭では、何が悪いのかわからないけど、
もしかすると、当選しない人と分かっている人にあえて投票する行為は愚かなのかもしれないとも思う。

一個人の行為としては愚かと仮定しても
集団としての1個人と行為としては、本当に愚かなのかなのかは謎かなぁとも思う。

比例区の投票は、意味があるそうに感じる

上記の記述が正しいかどうかは分からないが、
選挙に行くことで、結果に反映されていると感じやすいので、意味があるように感じるのではないかなぁと思う。

まあ、政党に投票するのが選挙って言うわけでもないとは思うので、
現状の方式が悪いのかどうかはよくわからないし、

小選挙区は、民意の傾向を「極端な結果」として現れやすいので、
世の中を上下(左右)させながら、変化させていくのには良いシステムなのかもとは個人的には思う。

ただ、日本の?、日本人の?思想・風土に合うのかなぁという1点だけが昔から気になっている。
結局、2大政党制にはなかなかならないことが多く、1党多党制?に結局は日本はなってしまってる気がする。

集団心理が働く

選挙に投票に行くのは意味があるということに関して
これは個人の行動として意味あるという話のような気がするんですね。

集団としての行動としては、本当にそうなのか?なんですね。
集団心理などが働くため、投票率が100%になっても、本当に民意が100%反映されるのかなぁという疑問があるわけですね。

そもそも民意とはなにか?という定義かもしれないけど。

結果がでないと、意味がないと人は考えがちなんですね

本当に、勉強するのは意味あることなの?!

それと似ているのかもしれない。

「勉強することは意味あるはずだ」と信じることが、社会を作り、その価値観を浸透させる。
だからこそ、勉強することが有利なような社会が形成される。

ただ、勉強することが必ず結果をもたらすわけではないというのも重要な視点だし
勉強しなくても違う方法があるというのも重要な視点だと思う。

だから勉強しなくても平気というのは短絡すぎるんだけど、
でも、逆に、だから勉強は大事で、勉強すべきだというのも短絡すぎるんだと思うのですね。

勉強においても戦略をもって行うのと
そうでないのとでは、大きく結果が違う場合もある。

ただ勉強しているだけで、満足して、結果が出ないことにおかしいなぁと思いながらも、
勉強しない人たちを非難してはいないだろうか?というのを今回の選挙で感じたわけである。

自身が、勉強しているのに結果が出ないのは、
勉強をしない大衆が悪く、そういう連中が社会の評価システムをおかしくしてるんだ
みたいな都合の良いロジックになっていないか?ということなんですね。

正しい行動でも、期待通りの結果が出ない場合は、再考する必要があるかもしれない

ダメだ、ダメだでなにもしなければ、
多くの場合、何も変わらないわけで、

正しい行動でも、結果がダメなら、
正しい行動を続けるだけで本当に十分なのかを良く考えなければならないのではないか?と思う。

もしかすると、選挙システムというものが、民主主義につながらない構造になってきているのかもしれないのだから。

いつまでも機能するシステム(構造)というものはありえなく、以前はちゃんと動作していたというだけではなんの保障にもならないと思う。


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