理想論だと言われれば、そうかもしれません。
でも、「割り切った態度」=「プロ意識」でないと、心が壊れそうな気がします。
仕事に対する「誇り」について
以前お伝えした通り、写真については、当てはめるデザインに応じた光源(左上から)での撮影をお願いします。
とりあえず切り抜いて当ててみましたが、光源も色味も違うため、全く馴染んでいません。
デザインはとても技術と時間のかかる仕事です。
そもそも頼まれていたのは1種類、指定されたデザインの中に顔をはめ込むだけということだったはずです。
私の提示した金額はそれに掛かる時間と労力を計算した上でのものです。
送らないけど書いたもの
まず、「プログラミングとは単純作業で無くて芸術的な仕事です」みたいな表現とアピールは、プロ的な感じが個人的にはしないなぁと思う。事実がそうであっても、相手がそう理解する必要性はないとは思うんですね。
今回の場合なら、淡々と素材を用意できないようでしたら、こちらで用意することも可能ですが、これだけ追加料金がかかりますみたいな案内がよいと思うんですね。
用意された写真では、こういう感じにしかならないですが、問題ないですか?でもいいわけです。
写真がなじんでないと言われたら、条件通りの写真でないとそうならないですといえばよさそうに思うのですが・・・。
プロとして、こういうものは作りたくないというのと、仕事に対する対価を回収するのというのは、別物だと感じます。
仕事に対する「誇り」というのは、相手との関係で持つもので無くて、自身だけでも確立しないとダメなものだと思います。
足元見られていても、仕事を断ると生活に困るとしても、態度だけは毅然ととらないとダメな気がします。
態度は毅然としていて、黙っているというのでも問題は無いとは思う。
「誇り」が揺らいでいると、言い方が
・弁解っぽい感じになる
・言い訳っぽい感じになる
・愚痴っぽい感じになる
とか毅然とした分になりにくいんですね。
「~だったはず」とかいうのは
「~すべき」とかと一緒で、
心がニュートラルにない気がします。
仕事に対する「責任」について
私が提案して納入した画面サイズ10.1インチのWindowsタブレットが高齢者には使いづらかったであろうことは認めます。
デスクトップPC・ノートPC・Windowsタブレット・Androidタブレット。
どれを購入した場合にどんなメリットとデメリットがあるのかを示した比較表を私側で作成して、
じっくり考えていただいたわけですが、最終的に私に判断を任せられた以上は確かにある程度の責任はあるでしょう。
納入後1ヶ月も経ってから返品を言われると本当に辛いです。
それでも、責任を感じたから、別の引き取り手を探した上で、その人の購入金額をそのまま渡すという提案をしたわけです。
送らないけど書いたもの
提案をしても、決定をお客にさせないのは、プロじゃない気がします。
決定をお客にさせないから、その責任を感じることになるわけで、僕の価値観ではダメな決定の仕方だと思う。
相手にしては、非がないと思ってるはずなので、
返品(全額返金)で無くて、一部返金に応じてあげたという思いがあるような気がします。
仕事で無くて雑談で、知人とかにどれがよいとか言われて
アレコレ言ったら、
お勧め通りにかったけど、ひどいよとか言われて、
理不尽な目に合ってる「プロ?」の人たちもいるわけで・・・。
だから、「プロ?」の人は、発言には気を付けてる場合も多いとおもうけどね。
だって、責任なくても恨み買いたくないし・・。
奉仕しても、金にならない客は、切り捨てるしかない?!
別の金づるの客を紹介してくれるとかがない限り、普通は付き合えない部類だとは思うけど、でも、生活の為、ほかに仕事がないため。付き合うしかないのなら、
なんらかの心の整理をしないとダメかなぁと思うんですね。
それか、対策を練るしかないかと思う。
時間や技術を金にかえている論理の欠点
技術と時間をお金に変える仕事をしている私としては、この段階ですでに赤字と言っても言い過ぎではありません。
送らないけど書いたもの
これ、ほかに買う人がいなければ、意味ない話なんですよね
その技術と時間を、ほかの人が買ってくれないから、この人と付き合っているのなら、
本当の意味で赤字といえるかどうかなんですよ。
よく、ブログで金儲けとか言う話があると
時給換算して、そんなのやってられないという話がでるんだけど、
サラリーマンの場合は、余った時間を自由に残業とかに使えるわけではないので、
時間が即、お金にならないサラリーマンの人は、また考え方が違うのと同じだと思う。
僕なら、無職でフリーランスもどきをしていたら、
他に仕事がないか、ほかに仕事があっても安い場合は、
自身の人件費は度外視しても、現金収入になるのならやるかとは思う。
生活の困り具合によって、違うと思う。
この時に、会社で同じ作業をすれば、これだけもらえるはずなのにというのは、
それだけもらえるように交渉するということでしか意味のない話だと思う。
自動的に、それだけの価値が発生して、現金化するわけではないので・・・。
相対的な話なので・・・
今だと、僕はブラック企業で働くなんて、対価が合わないので絶対に嫌だと思ってるけど、クビになって、そこしか雇ってくれなくて、生活できないとなれば、そんなことも言ってられないでしょう。
恵まれた環境や考えを持つと、本当は相対的な話なのに、絶対化してしまいがちだと思います。
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