性同一性障害のひとたちがカミングアウトする風潮がフェミニズムにとどめを刺したのである。進歩的な思想の持ち主としては、当然ながら、この種のカミングアウトを歓迎しなければならない。だが、性同一性障害のひとたちは、本能的な男とか女の部分に強くこだわっているわけである。身体が男なのに「女になりたい」のであり、もしくは身体が女なのに「男になりたい」と切実に渇望しているのであるから、フェミニズムが否定してきた男女の垣根をくっきりと際立たせる存在でもあったのだ。彼らのカミングアウトを誘発したのは進歩的な思想が広まったからだが、それによって逆に「男らしさ」「女らしさ」が人間の根幹であるというのが示されたのである。本当にジェンダーフリーを貫くなら、肉体が女でありながら「男になりたい」と言って戸籍まで男性にしようとする人間には、説得を試みるべきなのである。性同一性障害の人間は古くさい性意識に囚われているだけで、新しい性の意識を持てば、男女など気にならなくなるはずだ、とジェンダーフリーの思想からは言いうるはずだ。だが性転換を望むのは、なんら思想的背景があるわけでもなく、極めて切実な人間的欲求であるから、その性転換への願望を幻想だと一蹴することは出来なかったのである。それに男として育てられて男の肉体なのに「自分は女である」と言うのだから、性差が後天的に作られるというフェミニズムの思想も成り立たなくなる。
フェミニズム。社会科学が医学に勝利した問題。 | ブログ運営のためのブログ運営
そして、彼女達の言葉を見るたびに私が想起するのは、性別が存在することへの怨嗟であり、
現実の恋愛にも性欲にも罪悪感を抱く自分自身である。
あなたたちの言葉は正しい。
だから、正しくない私があなたたちの言葉を直視をするのは無理なのです。
申し訳ない。
私の周囲のフェミニズム的な人々に思うこと
・社会が性的役割(性別)をつくりだす要素
・本能(ホルモン?)が性別をつくりだす要素
フェミニズムとジェンダーフリーは違うとかいろいろあるとおもうけど・・・。
正しく理解してないから誤解している系の話は、この手の問題には何の意味も持たないとは思う。
まあ、いろいろ思うところはあるが、
思想というのは、時代に応じて少しずつ改変していかないと受け入れられなくなっていくんだと思うんですね。
だが、そういうものであるのは仕方なかった。
彼女達の言葉は同じように苦しむ女性を、すぐに助けなくてはいけないものだった。
私の周囲のフェミニズム的な人々に思うこと
その時、その当時はそれでよかったが、今もそうであるかは別だとは思う。
宗教だって本来は変わらないはずの思想なのに
明らかに少しずつ、解釈とかいう次元を超えて変わってきたように思える。
大儀があるからといって、全ての行動が正当化されるわけではない
差別や偏見をなくす運動が、権利を求める運動になれば、
やっぱり、ちょっと違うんじゃないかなぁと思う。
差別や偏見をなくす運動が、
あたらな思想を広める運動になっていたら
それも、ちょっと違うんじゃないかなぁと思う。
まあ、明確に分けれないし、
政治的、思想的な運動にしたほうが改善しやすいという面はある。
いつの世にも、新しい感じの思想に飛び乗って、アレコレいう知識人?がいるんだから。
「ベーシックインカム」とか、何処に消えたって感じですが・・・。
一方的な価値観を押し付けてるのは、同じかも
・女性も社会に出て仕事をしてもよいではないか?・女性は社会に出て仕事をするべきだ
・専業主婦なんて、男社会がつくりだした便利な奴隷だ
なんでもいいんだけど、少数派でそれほど世の中に受け入れられていないときは、
「解放」という役目を担うけど、
ある程度、広まりだし、「解放」という目的の一部が実現しだしたら、
同じ思想で、
今度は違う人たちが、苦しめられるという結果がまっているかと思う。
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