IQが10も違うと、かなり違う
なにが言いたいかというと、人はその8割近くがIQ90~110の間に入ってしまうわけで
「IQだけでパフォーマンスに差がつく」=「生まれつきの知能だけでパフォーマンスに差がつく」なんて場面はほとんどないはずだ。
頭の良さについて
IQは10も違うとかなり違うと思う。
ただし測定誤差もあり、その他の要因もかなり絡むので、その差が感じられないだけだと思う。
・IQ70の世界について、検索してみた・・・
で検索で調べて見たときに、10の差は大きいと思った。10の差を感じやすい閾値というのがあるのだと思う。
たとえば、90%の品質を確保するのはたやすいけど、95%の品質を確保するのは難しいというのと似た現状だと思う。
ここで、5%という単純な差では考えられない境界があるかとは思う。
「要領の良さ」と「頭の良さ」は似ている
■1:優先順位の付け方がうまい
■2:上司を上手に立てている
■3:自分だけの強みがある
優秀な人にたくさん触れて気付いた「要領のいい人」の共通点3つ - It Mama
要領の良い人は、パフォーマンスがよいので、もともとの頭の良さとは別に、結果を出しやすい。
また、結果というのはイメージの部分もあり、プレゼンが上手いと結果がよく見えるなどの錯覚などもあろうかとは思う。
ここで、多くの人は、「要領の良い人」を実は「頭がよいのではないか?」と勘違いするんですな。でもって学歴不要論とかそういうのと結び付けて話をつくりだす人たちもいる。
「勉強体力」と「仕事体力」
僕は、それは「勉強体力」の差だと思う。
勉強体力だと、差はすごく大きくつく。僕は集中力がないから、2時間も不休で勉強するとヘトヘトになる。
ものすごく勉強体力のある人だと、5時間でも6時間でも苦にならないって人もいる。
そうすると、やっぱりパフォーマンスに大きな差が出る。
なかには、数学とか理科が大好きで、勉強そのものが苦にならずに暇があれば教科書を読んでいる人もいるかもしれない。
僕はIQは117だったけど、勉強体力はない。1時間勉強するのも苦痛でしょうがない。
頭の良さについて
勉強体力でなくて、単に体力なんじゃないの?と思わなくはない。
IQが高くても、精神的にもろいと、社会では成功しにくいし
IQが高くても、対人関係が上手くないと、社会では成功しにくいし
まあ、IQ以外にも必要なことがあるという話と、賢さの話は別かなぁと思う。
IQが117の人が2時間で出来る作業が
IQが127の人は1時間半でできるという現象があるとすれば
勉強体力というのは、たんに、頑張ればIQ差を埋めれるという話だけのような気がします。
昔から、「体力バカ」というのがいるのですが、そういうたぐいです。
人海戦術で解決できる問題というのもたくさんあって、そういうのには「勉強体力?」はやくに立つかも。
勉強=仕事に置き換えれば、大人たちもよく理解できると思う。
仕事体力の差は、かなり大きいとは思う。
仕事は出来るんだけど、仕事体力がないために、結果を出せないとかはありがちだけど、
そういう人たちを、仕事が出来る人たちとは通常はよばない。
でもって、体力馬鹿的な戦略で仕事している方が、なぜかパフォーマンスがよいので、不当だと騒ぐ人たちも出てくる。
勉強体力が有効なのは、
IQの差を頑張りで埋めれるという現実において、
天才にはかなわないけど、秀才もどきにならなれるという路線が存在するからである。
でもって、ここに要領の良さがあると、
有名な大学に潜り込むという戦略で、勉強する人たちがいて、
あたかも、その大学に属しているからということで、同じ「賢さ」があると周りに思わせる場合があるということ。
実際には、差があることがほとんど。
秀才は、頑張りがなければ維持できないし
要領よさは、裏技を見つけ出せないと維持できない。
ただ、「頑張り」も「裏技」も、賢さであるには間違いない。ただIQとは関係ないだけ。
学校の勉強は、役に立たないと似たようなものでは?
勉強体力(=集中力)は勉強以外にも役にたつ。
頭の良さについて
xxxxは役に立つとか、役に立たないとか、今までそれが本当だったことは僕の経験上あまりないんだけど。
2時間しか集中力が持たない現状で、
勉強体力とかあるかどうか不明なものに期待するよりも
その2時間を要領よくつかう方法のほうが、短期間で結果をだせるとおもうけどね。
頑張る方向性を間違うことは、短期間で結果を出しにくいと思う。
ただ、短期間に結果はでなくても、頑張ることに意味があることも多々あるのは事実。
要領の良い人は、中身が薄かったりするとかそういうのはありうる。効率よく勉強してるので無駄なものがないからですよ。
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