「やさしい人」になりたいのなら、論理で無くて、相手(人)を見ようよ

  • 投稿 : 2015-05-03
優しいの定義。
自分の利益は考えずに本人のためになるかどうかを考えること。
注意する人は実は優しいと個人的に思ってる。(怒鳴ったり嫌味を言う人はアレだけど)
嫌われる役なのにやっているから。
自分が嫌われることより相手の成長を優先させているから。
ちょっと押し付けるような感じだけど、成長してほしいから注意するんではないか。
優しいの定義

定義に溺れて、その定義通りに行動しようという人たちが多いけど、
そういう人の優しさって、多くの場合、どうなのかなぁと個人的には思う。

文章上は、なんか素晴らしい理想のように見えたりはするけどね。

「相手から嫌われてもいうのが、やさしさ」とかそういう言葉に溺れる人たち多数だけど、

相手に嫌われないでもやれる方法はないの?とかそういう「やさしさ」には無頓着なんだと思うわけです。

相手に嫌な思いをさせなくても伝えられることを
相手に嫌な思いをさせても、いうのが友達だとか、やさしさだとか言う論理を使う人たちって
なんだかなぁと思う。

夫は甘やかしてはダメだ、妻は甘やかしてはダメだ、子供は甘やかしてはダメだ

逆に、甘やかす人は好かれたいとか、
疲れるからとかいう理由で本人のためにならないことをさせる。
つまり、本人のためになることよりも自分の利益を優先させている。
貴方は部下後輩年下子供にどう接しているだろうか。
優しいの定義

人間関係を大事にするとか
信頼関係を大事にするとか
そういう点が抜け落ちているような気がする。

その前に、やさしさは、損得じゃないんだし・・・。
相手の為になるとか、ならないとか、そういう次元じゃないとおもうけどなぁ。

また、「表面的に」優しい人っていうのは怒らない。
でも、それってなんだか諦めのような感覚があるんじゃないだろうか。
期待してないし、みたいな。期待してなかったら怒らんし。
優しいの定義

長い目で見てあげようという、やさしい気持ちの人たちだって多数いるよ。
きついことをいわないで、柔らかい言葉で、その内容を薄めて、という感じで・・・。
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