死ぬつもりで努力しろとかいう。
それはある基準を満たしてる人だけが出来る芸当であって、自分のように人の形をした異物は、人の中にいるだけでも死にそうな個体がいる。
人と会話すれば気持ち悪いと言われる。
話に入ってくるなっていわれる。
意見を伝えれば曲解される。
人と話せなくなった。
気持ち悪くて頭おかしいらしいから。
雑談無理なんだって。自閉症圏の人間なの、自分の中に閉じこもってんの。
障害理解して雇用してますっていってそういう部署後々つくる大会社ww
障害をもっていきづらい人が、個性として受け入れられる日が来ますように。
書き出したら少しだけすっきりした。
引用先の人はどうこういう部分はないんだけど、
>障害をもっていきづらい人が、個性として受け入れられる日が来ますように。
障害をもたないけど、生きづらい人たちも、個性として受け入れられる日が来ることをとかいうのはないのか?ってことなんですね。
まず、障害を持ってるかもってないかのグレーゾーンにいる人たちもいるわけですね。
そういう人は、障害を持っている人が生きづらいのなら、グレーゾーンの人もそれなりに生きづらいのではなかろうか?というのはあると思うんですね。
でもって、グレーゾーンに入ってなくても、もしかして生きづらいっていう人もいるんじゃないかなぁというのもあるわけですよね。
たとえば、こういう障害がある、こういう病気があると認識されて、区別しだしたら、いきなりそういう人たちが出てくるわけじゃなくて、もともと存在してきたわけで。
健常者に見えるけど、発達障害なんですとか、ASD(自閉症、アスペルガー症候群)ですとかそういうのですね。
いやいや、明らかに違うという人もいるだろうけど、グレーゾーンが存在するように、症状の重さにも違いがあるでしょう。
仕事ができないのは、障害?
明らかに、仕事ができなくて、生きづらいんですけど・・・。非コミュは、障害?
これもかなり、生きづらいんだけど・・・。他
・要領悪いのは?・外見(見た目)が悪いのは?
・頭が悪いのは?
・病気がちなのは?
・花粉症なのは?
・メンタル弱いのは?(繊細なのは?)
他人にやさしい世界はあるかもしれないが・・・
・無条件に免責される・無条件に要望が通る
そんな世界はないとは思うんだけどね。
他にも大変な人たちがいるって言われても、困るんだけど
それは、その通り。でも、障害をもった人だけに、優しい世界なんて、存在できないと僕は思う。
コンプレックスとか、自責の念持たない人は強いような
能力ないのに、そういう人たちもいるんだけど、そういう人は、同じ条件なのに、強いというか、メンタルのタフさを感じることがある。
障害者、健常者関係ない
「相互扶助」的な面がないと厳しいような気がするんだけど、でも、新自由主義とか自己責任とかそういう世界にシフトしているなかでは、難しい気が・・。
まず、困っている人、苦しんでいる人を、「相互扶助」的に助けましょうとはならずに、何らかの大義と区別が必要とされていると思う。
あと、「相互扶助」的な思想を実現するためには、ハイエナのように「助けられること」に群がる人たちがいないことが全体にはなると思う。
すこしは、自身で頑張れよとかない部分があると・・。
お金は出せないが、xxxは作ってください、準備してくださいみたいな。
xxxを作ってほしいけど、これだけのお金しか出せませんが、何とかしてほしいという路線とはちょっと違う。
あと、自身が助ける側にまわろうとする人たちであふれない限りむりだと思う。
例えばだけど、障害をもって助けられる側になってるけど、それでも、自身のできる部分においては、人を助けようとするかどうかとかそういう部分。
そういう世界を望むのなら、自らもそう行動しないとそうならないかもしれないとは思う。
ただ、僕が思うのには、世の中の多くの人は、「他人に優しい世界」を望んでいないんだと思う。「自分に優しい世界」「自分に有利な世界」を望んでいるのだと思う。
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