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同期は工学部ばかりだったので、美大卒の自分は意匠科に回してもらえるとばかり思っていたのだが、実際に配属されたのは積算科というお金の部署。毎日毎日人が書いた図面を見て、幾らになるか電卓を叩く日々。初めの頃は絶望しかなかった。上司に意匠に何とか入れないかとは相談したけど、聞き入れては貰えなかった。
だけど、僕の今の部署でも、お金の観点から設計に意見することは多々ある。予算がなければ建築は建たないのだ。これだって立派な設計の一部だと、最近では思う。
彼は、やっぱり図面を引いてこそ建築だという。本質はそこにあると。お前はずっとそこで、人が書いた図面を見てるだけでいいのかとハッキリ言われた。ものすごく腹が立った。僕がどんな思いで、今の部署で折り合いをつけたのか知ってるのか。でも、根性なしの僕は言えなかった。
設計だけがクリエイティブで頂点だと思ったら大間違いだぞ、見てろよ、と僕は去って行く同級生の背中に誓った。残業だらけで辛いが、もう少し頑張る。
クリエイティブになりきれず
折り合いをつける大切さ
短期的には、折り合いをつけないと、前向きに人生歩めないことが多いので、折り合いをつけるのは大切だと思う。たぶん、短期的にはというのがミソだと思う。世の中、頑張るだけで道が開けるわけでもなく、また頑張るとしても今ある地点からしか頑張れないんだから。
若者は、短期間に結果を求めがちで、また頑張った成果を目に見える形でほしがる傾向があるかと思います。
しかし、もう少し長い目で見たほうが、今ある理不尽な状況を改善できる可能性が出てくる可能性があるわけです。
他人を否定することで自己肯定しない大切さ
他人を否定することが悪いとは思わないが、でもその路線は、結局周りの価値観に依存しがちなので、どうしても自己肯定するのが難しくなると思う。また、他人を否定する路線は、論理がややこしくなる。というのは、「正しさ」というのは複数あるわけで、否定する「他人」がもし正しいとしたら、それを否定することで、自己は肯定されるのか?ということなんです。
正当化、合理化すると、正しくないことでも心の負担は軽くなる
そういう一面はあるかと思う。だからこそ、必死で、正当化、合理化したがる人たちがいるわけですね。まあ、心の負担が軽くなるという意味では悪くない路線だとおもうけど、正当化・合理化というのは論理であるために、論理的な破たんを見つけると容易に崩れてしまうところが、もろいと思う。
心が折れないことが大切
理不尽な状況でも、心が折れないことが大切だと思う。そういう意味で、「マイポリシー」みたいなものがあればよいのだと思う。
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