ママ友と飲み会でのシーン。PTAの役員をしたことがあるAさんに訊いてみた。給料が人質なので、会社や客先ではニコニコしているサラリーマンと似たようなものでは?
私「今度、運動委員に選ばれちゃったんだけれど、大体何回くらい参加すればいいのかな?」
A「空いてる日があれば、全部参加すればいいんじゃない?」
私「・・・・・・・(絶句)」
子供が人質だから、ニコニコしているけど、本当は挨拶すらしたくない。
なのに「空いてる日はいつでも参加するべき」なんて
行けない日で、PTAに対する優先度合いを試されているようで怖い。
だから「空いている日」の見極めは非常に慎重にしなくてはならないと思うのだが、空いてる日の定義が分かんない。
どんどんPTAが怖くなる。
空いてる日ってどこからを言うのか
で、どこまでやればよいかは簡単な話で
・周りから、反感をかったり、あれこれ言われない程度に出席
・自分自身を含む身内がデメリットをこうむらない程度に出席
逆にいうと、空いてる日すべて参加してるのに、あれこれ言われる可能性もあるわけですよ。
その場合は、無理してでも出席すべきか、周りに理解を得るためにはどうすべきかを考えるべきなんだと思う。
会社の飲み会や勉強会も、優先度合いを試されてる部分はあると思う。
会社は、PTAとちがって効率的なのか?
非効率的な無駄話をダラダラしながら作っていく人間関係は、私はあまり好みではない。時間のマネジメントできない人とはもともと価値観が違う気がするし。閉鎖的なママ友小競り合いもあたりまえのように存在しているらしく、Aは「役員」サイドだったから、強者の理論上楽しかっただけで、そのストレスに苦しむ雑魚ママのことは考えも及ばないようだ。会社ってところは、そんなに効率的かな?と思う。
空いてる日ってどこからを言うのか
というか、非効率な無駄話もなく、人間関係が形成されないとおもうけど・・・。営業であっても・・。
会社の飲み会も勉強会も、強者の論理で開催され、成立してるのも同じかと思う。でもって、飲み会が無駄だとか勉強会が無駄だとか、そのストレスで悩む人たちなんて、想定さえされていないんですよ。
というか、その集団・組織において、どの程度忠実かどうか?とかの踏絵になっている感じ。
多分ですね、仲が良い者同士が集まっていても、そういう現象はあり得るんだけど、利害関係が一致してることがおおいから気づかないだけでは?
その集団・組織内で、弱者の立場にいるのなら
ある程度の理不尽さをうけいれるか、うまく立ち回るしかないとおもうけど。状況を見ながら、臨機応変にじゃないかな?と思う
周りの状況を見ながら、どの程度なら許容されるかを自分なりに見極めるしかないと思う。会社のや飲み会や勉強会も、「できる限り参加」なんですね。
で、会社によっては、ほぼ全員参加の強制である場合もあるし、その基準はアバウトだと思う。
まあ、ほぼ参加でも、うまく逃げ切る人はいるわけで、まあ、参加したくなければその路線がよさそうに思う。
あとは、最初のほうと最後だけ参加するとか、同じ参加回数でも与えるイメージが強い時を狙うとかそういう路線もある。
また、途中参加や途中退席とか・・・。
身勝手な人だと思われたら、反感を買うと思う
問題は、空いている日の定義の話ではないのに、空いている日の定義になってる時点で、論点がずれてると思う。仕事で疲れているので、参加できませんが1度なら許容されても、毎回なら許容されるかどうかとかそういう話だと思う。
そこで、家事や子育て、介護で疲れてる人が参加してたりしたら、そういうのと比較されると思う。
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