同じ仕事をやるにしても上司の指示に従ってばかりいるのと、自発的に発言・行動して仕事を動かすのとでは、どちらが達成感、そして得られるものが大きいのかは誰の目にも明らかだ。
まあ正しく表現するなら、
「同じ苦労をするなら買って出る苦労をした方が楽しいし、成果が出やすい」ということ。
「若い頃の苦労は買ってでもしろ」は至言だと思う
若い時の苦労は買ってでもせよ
若い時の苦労は買ってでもせよとは、若い時にする苦労は必ず貴重な経験となって将来役立つものだから、求めてでもするほうがよいということ。・理不尽な苦労を、他人に押し付けるときに便利に使われる
若い時の苦労は買ってでもせよ - 故事ことわざ辞典
・理不尽な苦労をしなければいけないときに、自己納得するために使われる
この言葉の意味合いって、上記の2点だと思う。
大体さぁ、リターンが大きい苦労があるとしたら、それはお買い得なのはたしかだけど、そんなの普通の人が買えるとおもう?
若いころは、苦労よりも(回復可能な)失敗をしたほうが、益が大きいとおもう。
たぶん、この「ことわざ」は、若いころは、苦労を嫌うだけで、苦労のもつ意味(益)を知らない人が多いから、そういう教訓のためのものだと思う。
労多くして益少なし
労多くして益少なし ・ コストパフォーマンスが悪い
労多くして益少なしの同義語 - 類語辞典(シソーラス)
労多くして功少なし無駄な苦労は無いとはいえないし、無駄にならなくてもそんなに役に立たないことのほうが多いかもと思う。
【注釈】 「労あって益少なし」とも。
「労」とは、骨を折ること。「功」とは、効き目のこと。
【出典】 『荘子』天運
労多くして功少なし - 故事ことわざ辞典
まあ、前向きに考える人たちは、自己の行動を肯定するので、大した効果がなくても、宝物のようにおもうだけかもしれない
益の少ない苦労でも、やったほうがお得なこともある
苦労が嫌いな人は、少し苦労の度合いを増やしたほうがよいだろうし、苦労を背負い込みがちな人は、その中から益の少なそうな苦労を捨てたほうがよさそうに思う。
要は、バランス感覚と臨機応変さが大切だと思う。
勉強になるから、将来役に立つからとおもって、自ら苦労を背負い込むと、下手するとつぶれます。
苦労の必然性
同じ仕事をやるにしても上司の指示に従ってばかりいるのと、自発的に発言・行動して仕事を動かすのとでは、どちらが達成感、そして得られるものが大きいのかは誰の目にも明らかだ。上司の指示に従うと、苦労するパターンのほうが多い気が・・・。それでも、上司の指示通りやったほうが結果として苦労が報われることもあるかとは思う。
「若い頃の苦労は買ってでもしろ」は至言だと思う
上司の指示待ちでなくて、自ら仕事をするのは、苦労を買うのとは別の話だと思う。個人的に思うのは、苦労したい系の人が、自ら進んで仕事をする場合、たいてい見当はずれなことが多くて、使う側(指示する側)からしたら???と思うこともある。
買えるような苦労は、ろくなものがないから、そういうのは買うのは辞めたほうがいいと僕は思う。
成功した人も苦労してる人は多いけど、その苦労にはある程度必然性があったりするわけですが、買える苦労には必然性があまりないんですね。その点もちょっと考えたほうがよい
理不尽な状況に対応できる能力
若者になくて、年配者にあるのはそういう能力だと思う。これ苦労をしたから培われたかもしれないが、だからといって苦労を推奨するのはちょっと違うかなと思う。
理不尽な状況でも受け入れないといけないときに、心のバランスをとるための格言みたいなものがあると便利かとは思う。
また、我慢のしどころとかも、経験を積むことによって直感的にわかるようになるのも大事かと思う。
我慢のしどころというは、単に我慢すればよいというわけではなくて、これ以上は我慢しないという線引きみたいなものも大事。
単に我慢して耐えるだけなら、苦労を買い込むのとなにも変わらない。
スポンサーリンク
コメントを残す