人は、信じたいものを信じる傾向がある

  • 投稿 : 2013-08-26
  • 更新 : 2014-11-16
一部の人が危険危険だと騒がれている「xxx産の野菜(肉・米・魚・果物)」を食べましたが、おいしかったです。

えぇ?どういうこと??

・新鮮な野菜は美味しい
・新鮮でない傷んだ野菜は美味しくない

そういう思考なんでしょうか?

だから、安全だ??

放射能汚染された食べ物でも、おいしいものは美味しいとおもうけど??

世の中にはそういう人もいるんだなというのを正直驚いたわけです。

上記文章の問題点

人を貶めようという意図がありそうだということです。何かの意見に誘導しようという意図があるということです。

「美味しい」言ったのは、応援の意味で言ったのかもしれないのに、「美味しい」=「安全」だという無知さがあるように仕立て上げて、疑問を投げかけるようにして、批判するわけです。

逆の場合でも、少しの間違い?を大きく取り上げて批判とか、少々間違っていても汲むところはありそうなのに、そういうのを一切無視とかそういうことを行われるわけです。

大義名分は、真意を隠せる

「電気料金の値上げに伴い節電を心掛ける為に空調の温度設定を25度から27度設定する事。お客様の居ない時間での空調を禁止。営業開始時間の11時に空調 をつける事など涙ぐましい節電対策を取り決めてます。そこに脱原発支援団体のお客様が入店され店内が暑い!とのクレームを受けました。複雑です。」
ステーキけん井戸実社長 「節電対策に取り組んでいたら、脱原発支援団体のお客様に店内が暑いとのクレームを受けました。複雑です」 – ガジェット通信
この件は詳細不明で調べられないのでわかりませんが・・・。この通りの事実があったんでしょう。


節電という名にかこつけた、経費削減が昔からあるわけです。でも、どこの企業も経費削減と言ってないので、経費削減じゃないんでしょう。結果として、たまたま経費削減につながっただけなのです。でも、多くの人?一部の人は、どうも怪しいなと思ってるかと思います。

まあ、大義名分と実態が一致しないことはよくある話。また、その真意が事実だと証明するのは難しいこともあるということ。

節電のため、残業は控えてくださいとか・・・(^^;


うまい話を信じるな?!

 放射脳とうまい話。これたぶん疑似科学みたいなもんもそうだと思うんだけど、こういうものを信じこんでしまう背景には「この世のたいていのことは説明されうる」ということ、そして「説明されえないこと」は、いまもそれを解明すべく死力を尽くしている人たちがたくさんいるということ、だからそこから外れるものは死力を尽くした果てにしかないんだということ、まあそんなようなことに対するわきまえから来るんだと思う。現状は、各所における最善の追求の集積としてこのようであるのであって、それを一足飛びに越えるものなどない、ということだ。

世のなかのたいていのものは、それが商品である限り、売れるためにはいいことしか言わない。その「いいこと」を完全に額面どおりに受け取るので、見てて危なっかしくてしかたない。
放射能とうまい話 - 24時間残念営業
専門家のいうことを信じられない、国のいうことが信じられない人がいるという批判も、過去の事例をみれば不当かもしれないわけです。

無条件になんでも信じられないのは、当然の話。

うまい話はないのに、放射能の安全神話?を信じるのは、うまい話を信じるのとどう違うのかですな。

うまい話?というのが、自身にとって都合のいい話や、心地よい話と定義するのならです。


人は、信じたいものを信じる傾向がある

科学や論理が好きな人は、そういう傾向のものを「信じる」だけです。で、信じた対象が裏切ることが単に少ないだけで、実際には裏切られることがあるでしょう。

でも、その場合は、科学的な意味を知らなかったからだという理論で、肯定することが可能なわけです。自身が騙されたということにはならないんですね。解釈問題にすり替えて、自己の信じるものを守るわけです。想定外でも、前提不足でも、考察不足でもなんでもよいけど…。


真意や本音を隠すことが、世の中ではよくある

科学か非科学か、論理か非論理よりも、物事の本質・真意をみましょうというほうが重要では?

人の話の真意をくみ取りましょうと同じような感じで・・・。

結局は相手にしてるのは、人間なんです。

解釈・判断が加わる限り、そこに人間が参加してるわけです。科学者が同じデータをみても見解が違ってもおかしくない場合もあるわけです。

スポンサーリンク