「都会暮らしの人には車は基本必要ないし、それ故に免許を取る必要性も俺はほとんど感じないけど、みんなはどう思う?」
って聞いてみたかっただけです。
家族や友人と話をする中で、「車の免許」というものに対する温度差を感じたので。
色々とグダグダ言いましたが、免許は取ります。もう金も払ったし通い始めちゃってるからそこは仕方ないね。
免許って、とらなくても良くない?
結論としては、免許は取る必要ない。
身分証として便利という論理も、写真付きの住基カードがあるので成立しなくなった。
しかしですね、積極的に取らなくてもよいという論理がつくりにくいんですね。
というのは、必要ないのに免許持っている人たちが現状多い中で、免許を取る必要がないという論理は作りにくいし、支持されにくいというだけ。
社会人になってから、免許を取ろうと思うと事実上無理なことが多い
教習所に通ってというのが、意外と難しい職場とかも多いので、そういう意味では大学生の時に取っておきなさいという論理は正しいと思う。急に転勤で田舎に飛ばされたとかそういうのはあるかもしれないけど。でも、家族が多くなければ、車いらないかもしれない。
車で起こす事故について
これも、実際に免許をもって車の運転をしている人たちが多い中で、車に乗らないっていうのも、リスク回避という考え方では有効なのでは?というのは受け入れがたい人たちが多いと思う。
それは便利さを享受しているので、リスクを過小評価しがちなんですね。
で、リスクを過小評価する手法として、比較というのがあるのですが、
比較してみて、あれと変わらないという感じの論法になりがちであります。
まあ、乗る必要がないのなら乗らないほうがリスクは低いとおもうけど。
お金があるのなら、運転手雇って運転してもらうほうが、安全だとおもうし、快適だけど・・。
でも、そんな庶民はいないだけ。
都会でもカーシェアリングというのはある
車は必要ないけど、やっぱりあれば便利というたぐいのものなんだと思う。実際利用している知人をみても、便利そうには思う。
AT限定で十分、MT車で取るべき
この手の話を考えるときに、この話も有効だと思う。今は、明らかに「AT限定で十分」なはずで、その論理は受け入れられていると思う。
たぶん、多数がはそうなれば、その手の論理は受け入れやすいだけだと思う。
実際昔でも、ほとんどAT車で、自身が乗るのもAT車なのに、AT限定は避けたほうがよいという論理が主流だったわです。
で、その論理が主流の時に、どんな論理をぶつけても、それが受け入れられることはないし、それで現実を判断できるわけではないと思う。
実際、AT限定でその時取った人の多くがなにも困った事態に遭遇しなかったとしても・・。
最終防衛ラインに、恥ずかしいというのがある
AT限定だと恥ずかしい、車の免許ぐらいないと恥ずかしい。この恥ずかしいという論理がでてきて、それが崩壊しかければ、価値観は崩れることが多いと思う。
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