悪意があるかどうかは、実際には見分けがつかない
言い逃れも十分できるので・・・・。被害妄想ぎみ、気にしすぎ。
でも、悪意というのは不思議で、自分自身に向かってくる悪意に対しては意外と敏感に分かったりしないだろうか?でも、周りは、そういうのは気づかない。
そういうのも利用するからこそ、悪質度が高いか、性格悪いなと個人的にはおもうけど、まあ、それはともかく、悪意のぶつけ方が自身はなるべく関係ないところで、火をおこして、周りに炎上させようとするところが、なんとなく面倒な感じがしなくはない。
「こんなこと言っていたよ」とさらりと言う悪意
Twitterでもはてブ界隈でも、そういうことはないだろうか?リツイートしただけ、記事の引用を紹介しただけ、別に何の意見も追加していないという感じのスタンスですね。でも、実際にそうでしょうか?
Twitterとかではなんというのかわからないけど、要は「さらす」という行為ですね。
周りの共感を利用して、何かをする人は相手するのが面倒
まあ、1:多の関係になりかねないからですね。でも、多くの人は、1:1が複数あるだけという認識なんだろうけど、当事者にとっては、1:多で、おまけに集団で来ているように見えるし、実際、対応は集団を相手にしてるので、非常に面倒。
で、火をつけたと思われる人は高みの見物みたいなことも多いので、モヤモヤ感がたまったりする。
結局、火が消えても、火をつけた人がいる限りまた同じ目にあいかねないので、非常に困った感じでもある。でもって、周りはそういう火をつけた人を、火をつけたとは思ってなくて、もともと火を起こしたのは、記事(ネタ)を書いた人だと認識するんですね。
これも当事者本人と周りの意識のギャップであろう
その他
わざわざ「~だと思うのは私だけ?」と聞くのは、実際はそう思っていないからですね。ほか、
「~だけが叩かれるのは納得できない」
「~だと思うのは私だけ?」と「~だけが叩かれるのは納得できない」を多用する人に要注意
私はいいけど、周りがどう思うかな?とか・・・。
共通しているのは、周囲も動かして、何かをしようとするところが、ちょっと。
攻撃対象にならなければ、そんなに気にならないけど、ターゲットになると厄介。
こういう人は、1回2回ではあきらめずに、機会をみては、失敗する確率が高くても、何回もジャブをうってくる感じの場合も多いかと思う。
ジャブをうっていると、偶然でも痛撃にヒットすることもあるので、そういう犠牲になると非常に面倒。
「こんなこと言っていたよ」とさらりと言う善意
現実には、こういうことも多々あるので、「さらす」という行為だけで、その真意を読み解くことは、想像の範囲を超えることはできないのです。こういう部分を利用して、一般化して、悪意がないとか言い出したとしても、そんなの判断材料にならないと個人的には思うわけです。
巧妙になれば、一言感想を入れながらも、「さらす」行為は可能なわけです。感想が主か、さらすのが主かなんて、これまた区別なんてつきにくいんだから。
(無意識でも)悪意ある人は、普通では考えられないようなテクニックを駆使できるんです。
誰が悪いのか?と、悪意の所在は関係ない
悪いのは発言者だとか悪いのは、それに反応した周りのフォロワーだとかはあっても、
「さらした」?当人の悪意とは別に関係ないというところを、普通に認識すべきだと思う。
悪いというのは、価値基準なので
悪意を持っていても、やっても「悪い」と思われない行為もあるかもしれないということ。
まあ、実際には、悪意があると判明してしまうと、そうもいかないだろうけど・・・。
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