科学は万能で、科学は差別や偏見をなくすし、多くの人たちの生活を豊かにするという幻想について

経済(資本主義・新自由主義)は万能で、経済の発展は差別や偏見をなくすし、多くの人たちの生活を豊かにするという幻想には目が覚めたはずですけどね。

まあ、日本が経済発展をして一部はそういうものを実現してきたのも事実だけど・・。そこが難しいところですよね。

これが、科学とか、科学技術とかになると、そうは思えない人たちが結構いると思うんですね。

なぜかといえば、信仰と同じで、信じてるから、信念がそうだからでしょう。

あと、科学(学問)も経済活動の一部になりつつあるので、科学だけ純粋に切り離すのは難しい気はするんですね。

「科学」の純粋培養的なものだけをみて、問題ないみたいな話になるのは、都合よく何かを切り取ってるのに過ぎないと思う。「科学(技術)」をどう使うかは、道具をどう使うかと同じで別とかいう論理も限界というかもう朽ちてるので意味ないでしょう。

しかし科学者というのは正義や人のために科学を研究しているのではなく自身の興味関心のために研究をしている狂人たちなのだ

彼らは自身の研究で死人が出たところで誰も責任を取らないしとりようがないのだ
ノーベルやアインシュタインがいくら反省したとしても彼らいよって殺された命は還ってこないしその罪は消えないのだ

そういった危険のある研究はすべて禁止にするべきなのだ
人が死んでいるのだ
死人が出る組体操を禁止にし、殺人犯を死刑にしなければならないように、科学の発展にもタブーが必要なのだ
原発であれだけ痛い目を見たのに科学技術の発展を安易に賞賛するネット民はバカ


発展とか技術とかいう以前の問題もあると思う。

科学の政治利用
科学の軍事利用
科学のxx利用

科学の使われ方によっては、まあ不幸になるよねというのはあると思う。
原発も政策や政治的見解によって、不幸を作り出しているとは思う。

・科学は差別や偏見をなくす
・多く人たちの生活を豊かにする

とかも半分ぐらいは本当でも、半分ぐらいは嘘なのでは?

科学が、差別や偏見をなくせそうなことは声大きいけど、そうでないときは事実であっても隠すようなことする感じだけど?
科学が、多くの人を幸せにできるときは声大きいけど、そうでないときは事実であっても公共の利益のためという名目で黙っているような。

経済のコントロールにも限界があるように、科学のコントロールも限界があると思う。
だって、抜け駆けする人たちが絶対に出てくるから。それも企業だけでなくて、国という組織だっての行動だったりしたら、絶対に無理。

「社会全体の利益や幸せ」と「全体主義者」の差異はどこにあるのか?!

全体の利益や権利が、個人の利益や自由に優先する、と主張した。
全体主義 - Wikipedia


菊池誠はどうしてこうなった

党派性と縁のない学問も、その学者は党派性と無縁ではいられない、のかな… / あの人ネトウヨじゃなくてリベラルだと思うんだけど… いい加減、全体主義者をリベラリストと呼ぶのを止めたい今日この頃。

2017/04/01 18:26

http://anond.hatelabo.jp/20170331130851

間違った理解と知識で、正しい判断の妨害をするな、異論は認めないっていうのがこの人には昔からあるから、そういう意味ではそんなに変わってないのでは?つまり、読み手と同じ方向性のことを言っていたらそういう部分に気づきにくいだけだと思う。

「公共の利益」主義者という名前付けでもよいかも。
権威や権力と反対の立場のことを言ってることはなかったと思うので、権威主義者なのかも。

菊池誠はどうしてこうなった

いつもの「はてなが心酔する(してた)論壇にロクな奴がいない」シリーズ。

2017/04/01 13:27

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