行き過ぎた正義を行使する人は、自己弁護できない

いろいろ
・程度問題を加味しないで、正義を前面に戦う
・自身に大義があるからといって、大義以上の言動を行う

なぜ、自己弁護が出来ないかといえば、正義や大義を不当に利用してるからだと思う。

自身の主張を押し通すときには、正義や大義を大々的に掲げられるけど
自身の微妙な言動には、それが使えないってことですね。

だって、「行き過ぎた正義」を逆方向につかって自己弁護したら、今まで言ってたことは何?みたいになるわけで・・。

「行き過ぎた正義」を行使するときは、
・程度問題なんて関係ないです、
・状況がどうだか細かいことは問題ではないんです
とかいってたら、

いざ、自己弁護の時に使おうとしても説得力がないよね。

だって、そういう手法で反論(自己弁護)する人たちを力ずくで押さえつけてたわけで、
立場がかわって、自身が自己弁護する側になった時に、効果的に使えると思ってるのかなぁ?

行き過ぎた正義を行使する人は、過ちを認める以外にできることはない

本当は大して悪くなくても、過ちとして認める以外にできることはないと思う。

アレコレ論理を駆使して言い訳しても、その論理に、
・程度問題を加味しましょう
・状況を加味しましょう
・真意や本意を考えましょう
とかが入ってるのなら、どの口でそんなことが言えるのか?ってことだと思う。

本当はさぁ、正義を駆使するときも
・程度問題を加味しましょう
・状況を加味しましょう
・真意や本意を考えましょう
という点を十分に考慮して行使すべきであって、

正しいからといって、ごり押ししたらダメでしょう。

正義や大義を、商業主義に利用するな

知名度を上げる程度の話であっても、もう商業主義の類だと思う。

別に利用するのが悪いとは言わないけど、行き過ぎた正義と同じで、
行き過ぎた商業主義に成り下がってないか?ってことが重要なポイントだと思う。

無意識のxxx主義者

こういうのも正義を行使するときに便利に使えるけど、でも危険だよね。

相手を無意識の差別主義者ってレッテルを貼るときは問題ないとか思うのはなぜなんだろうね?
自身に正義と大義があるから?

でも、自身が「無意識の差別主義者」ってうレッテルを貼られると、反論できないよね。
だって無意識なんだから・・・。

こんな暴力的な論理に頼りすぎる正義や大義なんてダメだよ。

そういうのは、優しく啓蒙するときに使う用語であって、正義や大義を行使するときに使うものではないと思う。

メモ

はあちゅう on Twitter: "知人のタイムラインを見てると、男友達との写真を「ゲイじゃないですよw」とアップしていたり、グラビアアイドルの写真にいやらしいコメントつけてシェアしてる人は大勢いる。こういう、何気ない発言・行動も、炎上の時には全て誰かが見つけてまとめられて「差別主義者だ」ってなる。"

やはりこの人、日本版MeTooの旗手としてそのイキに達していないと思うのですがそれは。今さらだけど

2018/02/15 12:21
はあちゅう on Twitter: "知人のタイムラインを見てると、男友達との写真を「ゲイじゃないですよw」とアップしていたり、グラビアアイドルの写真にいやらしいコメントつけてシェアしてる人は大勢いる。こういう、何気ない発言・行動も、炎上の時には全て誰かが見つけてまとめられて「差別主義者だ」ってなる。"

いきなり反MeToo勢になっててわろた

2018/02/15 14:16

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