「科学」には「反省」がないのかもね?!

  • 投稿 : 2017-10-19
どの業界にもある、同業者擁護と同じようなことがあるのでは?と思う。
ダメなものはダメとならなくて、なんかいろんな理由をつけて、正当化してしまう行為には、反省がないと思う。

あと、擁護の1手法としてあるのは、それが「本物」じゃなかったからとかいうやり方。つまり、本来ならありえない話だからということで別物扱いして、関係ないものとして処理してしまう方法もある。
IT業界でもあるよね。

坂村健の目:「正しさの確率」の重み - 毎日新聞

基本的には同意できる。ただ、1. 震災直後に、「今は正しさの確率がそこまで高くない」と発言したのか。2. そもそもその確率が客観的に導けないのだから、主観的な判断を許容することも主張しないとおかしい

2017/10/19 16:53

1. 震災直後に、「今は正しさの確率がそこまで高くない」と発言したのか。
2. そもそもその確率が客観的に導けないのだから、主観的な判断を許容することも主張しないとおかしい

「1」がない時点で、もう科学でなくても誠実さがないと思うんですね。誠実さのないものを信用しろとかいうのは、無理なんじゃないかなぁと思う。

「科学絶対神話」という言葉が、科学を絶対と思い込む行いへの皮肉だとしたら、それは正しい。しかし「科学の絶対性」を科学者が信じているという意味なら、それこそありえない「神話」だ。「正しさは確率であり、絶対はない」と骨身にしみているのが科学者。だから科学的になるほど「絶対」という言葉を使いたがらない。


「この世に絶対はない」からといって、全てを疑っていたら何もできない。だから「正しさの確率」をもとに人も社会も行動する。全ては「程度の問題」なのだ。
それでもなお「絶対」という悪魔の証明がなければ納得できないとすれば、そういう人こそ「科学絶対神話」の信者--そのそしりは免れないだろう。
坂村健の目:「正しさの確率」の重み - 毎日新聞

>「正しさの確率」をもとに人も社会も行動する。

間違っていた場合のリスクの高さをもとに行動するのも、そんなに間違ってないのでは?
それって、正しさの確率をもとに行動しているのとそんなに違わないですよね。

ただし、
間違っている場合のリスクの高さをもとに行動する=>お金がかかる
現状の正しさの確率をもとに行動する=>お金がかからない傾向にある

だって現状ハッキリわからないことは、正しさの確率として都合の良いほうに倒すということが、できてしまうんじゃ?

坂村健の目:「正しさの確率」の重み - 毎日新聞

森永ヒ素ミルク事件の14年は?。”事故から7年近くたっての結論がいいかげんなら、同じ分野の「システム」が決して容認しない。”

2017/10/19 20:00

>事故から7年近くたっての結論がいいかげんなら、同じ分野の「システム」が決して容認しない。

この辺が、信仰とか神話なのでは?
科学関係ない話だし・・。

たしかに科学は検証できるという優れた面はあるけど、性善説にできてるのでそのあたりがネックなのでは?

坂村健の目:「正しさの確率」の重み - 毎日新聞

「科学は」という形で語る必要もないというのが僕の最近の見解。結果的に正しくなかった事を正しいと考えることも、不正があることも、科学を含む私たちの限界の問題だから。科学より広い視点で見ても蓋然性の問題。

2017/10/19 14:44

科学というものの価値が下がるのを恐れてるのでは?

坂村健の目:「正しさの確率」の重み - 毎日新聞

この内容に批判的なコメントが多くてびっくりしてる。「過去の原子炉の安全性判断」→間違っていた。震度等の想定が低すぎたでFA。「絶対そうだとは決まっていない発言」→当たり前なので何も発言していないに等しい

2017/10/19 13:56

>震度等の想定が低すぎたでFA

それだけなのかななぁ?

これ仮定逃げとか想定逃げで、正しさから逃げれるのなら、便利だよね。
別に、科学として嘘ついてるわけじゃないけど・・。

科学は間違っていないし、結論も間違ってなかったが、仮定(想定)が間違ってました。科学には問題ありませんとかでないのなら良いけど。

「科学絶対神話」という言葉が、科学を絶対と思い込む行いへの皮肉だとしたら、それは正しい。しかし「科学の絶対性」を科学者が信じているという意味なら、それこそありえない「神話」だ。「正しさは確率であり、絶対はない」と骨身にしみているのが科学者。だから科学的になるほど「絶対」という言葉を使いたがらない。
坂村健の目:「正しさの確率」の重み - 毎日新聞

でも、「メトルダウンは起こってるはずがない」って「絶対起こりえない」という発言に近いよね。そういう発言を科学者属性の人がしてないのなら、納得できるけど。
起こり得る状況なのに、起こってるはずがないというのは、「正しさの確率」を加味して、言ってるんですかね?

そういう発言をする人は科学者でないと、科学者が断罪するのなら、僕は納得するけど、同業者批判は基本しないよね。

科学とはこういうものだという発言

坂村健の目:「正しさの確率」の重み - 毎日新聞

僕も引用先が正しいことを言ってるとは思うけど、でもたぶん「科学とはこういうものだ」という言い換えに過ぎないのでダメなのではないか?と思うんですね。
科学?より?でない人にとっては、共感・賛同できないのは無理ないと思うんですよ。

本当は、科学には限界があるので、こういう利用の仕方は危険だとかそういう話をすべきなんじゃないかなぁと思うけど、そういう視点には当然ならないよね。

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