NHKの「クローズアップ現代」のビデオを観ました。
1990年に行なわれた文部省指導要領が「個性重視」という方向に改訂されたのに伴って、全国の小学校の運動会から徒競走がなくなりつつあります。親や大勢の前で負けを味わう子供をなくすためだそうです。
その代わりに登場したのが「興味走」という競技。これはランダムな要素が加わって、走る能力によって順位が決まらない仕組みになっています。しかし、子供達が成長してやがて入っていくのはまさしく競争社会であり、競争をなくすというのは欺瞞を含んでいるようにも思われます。
ビデオ上映後には活発なディスカッションが行なわれました。
日時:2000年5月18日(火)
第 26 回ランチョンセミナー
現存するWebサイトなんだけど、この記述が正しいとしたら、
2000年頃にはもう「興味走」というのがあって、出来た経由は、「ゆとり」教育路線なんではないかと思う。
インターネットアーカイブにアーカイブされてるかを調べたけど、されてなかった。
・私は興味走派です。私は運動会の前日はゆううつでした。例えば足が早くて頭が悪い人はいいけど、足が遅くて頭がいい人はいじめられるのです。
・運動会は在っていいと思う。競争は無くても、楽しさを感じることができれば良いと思うから。
・僕は運動会や体育祭を楽しんでいた方なので、嫌がる人の気持ちがそれほど分からない。でも、社会に出れば競争だらけなのに、子供の頃から競争をなくしてしまうのはいけないと思った。また、個性と競争の関係についても間違って考えていると思った。
・競争を無くして個性を伸ばすとかいっても、今度はその個性をはかる規準とか結局別な競争が起こる原因になっていると思う。興味走は運で勝てるかどうかが決まるし、運動会で運の良さを競ってどうなるんだと思った。それくらいなら運動会は無くなった方がいい。ディスカッションで言っていたように、全員に強制するから問題があるのであって、出る種目を選択させたほうが個人の自由や平等ということになるのではないか。
第 26 回ランチョンセミナー
ガチャの要素があって、先進的だったんじゃないの?という論理もつくれるけどね。
言葉狩りについて
事実は知らないけど、まあ上記が正しそうに僕は思うんだけど、これが正しいとして、
言葉狩りだとか
障害という言葉をなくしても・・・
とか論理展開している人たちが、
勘違いしてたんだな?
ちょっと冷静になって反省しないといけないな?
とかは、多くの場合思わないような。
つまり、狂気。
言葉狩りは狂気じみていると批判してるんだが、実際にはその批判している側も狂気とにている行動をとってるのかもってことですね。
たしかに、人間、自身が正しいと思って言ったことを、後で反省するなんてことはできにくいとは思う。
この件は言葉狩りで無かったけど、言ってることは正しいので反省することなんて何もない?って感じに流れるというか、それさえもなく、スルーして、次の標的をさがすだけのような・・・。
お前は、狂気じみてないのか?といえば、狂気じみてるでしょうね。
まあ、そういう一面があること自体を認識してるだけマシだと思ってるけど、マシかどうかさえも価値観次第なんだとは思う。
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