イジメにあってる子供に必要なのは、心の支えなんかもね

  • 投稿 : 2017-02-21
私が欲しかったのは「逃げろ」という言葉じゃなくて、「一緒に逃げよう」と言ってくれる人だった。

べつに逃げることにこだわらなくてもいい。「一緒に耐えよう」「一緒に戦おう」と言ってくれる人でもよかったと思う。

たぶん、当時の私には、自分の味方になってくれる人が必要だったのだ。

娘へ ~将来死にたくなったらコイツを読め~
http://shinya-sheep.hatenablog.com/entry/2017/02/19/212326
「いじめられたら逃げろ」という言葉が嫌いだった。

「いじめられたら逃げろ」というのは、処世術とかテクニックの部類であって、心の支えにはならない可能性は高いかなぁとふと思いました。
逃げた後どうしたらよいの?みたいなのもあるし・・・。不安だよね。

あと、例の引用先の漫画?を何回が読んでみたけど、何が心に響くのかちょっと僕にはわからず。
実際に、ひどい目にあったことがない人の、机上の空論見たいな気がしなくないんですね。

死ぬよりマシでしょうとかいう論法も、死んだほうがマシな現実というのがあるというのを知らないとかなんじゃないの?と思うわけです。
「死んだほうがマシな現実」があたっとしても、生きてほしいとかそういう矛盾した熱い思いがないと、言葉が届かなかったり、心の支えになりにくい場合もあるんじゃないかなぁと思う。

・いじめられたら逃げろ
・いじめられたら逃げても良いんだよ

この差は大きいと思う。
でもって、後者の方が実際には心に届きやすい気もするんだけどね。

なんでも強く断定的にいえばいいってものじゃないとも思う。

まだ、なぜあの漫画が僕の心に響かないのかわからないけど、もう少し考えてみたいと思う。
まあ、僕が人間として欠陥があるからという理由かもしれないけどね。

理不尽なものに対して、正論で対応できるとは思えない

理路整然とした言葉で、対応できるとは僕は思えない。
理路整然としている時点で、納得できる人は多くなると思うけど、たぶん無力。

結果論と極論の弊害

・いじめられて自殺するぐらいなら、逃げても良いんだよ
・過労死するぐらいなら、逃げても良いんだよ
・うつ病になるぐらいなら、逃げても良いんだよ

そんなの啓もう周知されてるわけで、その言葉自体に何らかの力があることはマレ。

・軽いイジメなら?
・過労死しないけど、過労ぐらいなら?
・うつ病にならないけど、軽い不眠ぐらいなら?

ちょっと条件が変わると、逃げ出せなくなるし、でもって逃げることが正解とも言えないくなるというのがこのロジックなんだと思う。

逃げてもよいということで、精神的には問題に立ち向かえる

人生どこかで逃げずに立ち向かわなくちゃいけないってことを教えるのも大事じゃないのか
web.archive.org:「逃げても良いんだよ」と言われて逃げて、人生行き詰まったらどうする?(追記しました)

人生どこかで逃げずに立ち向かわないといけないというのは、
逃げるということでデメリットをしょい込むことになっても、そのデメリットを受け入れて立ち向かうということでもあると思う。

人間関係の問題は、大人でも逃げているという現実がある。たとえば転職とかです。
転職するのは意外とデメリットも大きいけど、でもそのデメリットの大きさには立ち向かってるんですよ。

表面上は逃げているけど、立ち向かっている部分もある。

ここで、逃げてはいけないということで転職という選択肢をふさぐと、立ち向かえずにつぶれてしまう可能性はあると思う。
たしかに、明けない夜はないけど、朝までに生きていればっていう前提があるわけでね。

会社を辞めるというのが逃げるという方法なんだけど、でも転職もするという部分もあるから成り立つ方法論であると思う。

ただし、子供にできることは、まずは会社を辞めるという決断であって、転職までを求めるのは厳しいと思う。でもってそこは親(周りの大人)が支援してあげないと仕方がない部分ではある。

つまり、子供に逃げるなといって、親(大人・社会)が問題から逃げてはいけないってことです。

「人生どこかで逃げずに立ち向かわなくちゃいけないってことを教えるのも大事」とかいうきれいな大義で、問題から逃げてないのなら、良いんだけど・・という話がある。そっちを教えるほうが楽というか、問題から逃げやすいよね。

「逃げても良いんだよ」は、今日死なない方法で明日死なない方法ではない

たしかに、そういう一面はあるが、
今日死なれては、明日は生きれないのは確実で
何のために、立ち向かえって言ってるかといえば、明日死なないことを目指しているのも事実。

立ち向かって今日死んでしまっては、明日死なないことを目指しているとは言えない。

「逃げても良いんだよ」だけでは、
「人生どこかで逃げずに立ち向かわなくちゃいけない」と大差ないってことになりかねない。

ただ今日死ぬか、明日死ぬかの違いで・・。

「逃げても良いんだよ」ということで、問題から親(周りの大人)が逃げてはいけないと思う。

もし、問題から親(周りの大人)が逃げてるのなら、「逃げても良いんだよ」というのも、不幸のきっかけになりかねないとは思うよ。


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