今年のクリスマスは、きっと良いことがあるよ、と心から祝福しよう。
人類学者であり心理学者であるポール・エクマンは、洋の東西や文化を超えて、人間には普遍的な感情があると実証した。
人類は、怒り、嫌悪、怯え、喜び、寂しさ、驚きという感情を持ち、同じような表情をする。
だから、呪詛に呪詛を返す必要はない。喜びは万人に共通のものだ。
クリスマスを祝おう。笑顔で喜ぼう。それが一番良いのだ。
三連休の人も、そうでない人も、どんな立場の人も。
たまには、笑っても良いじゃないか。
メリークリスマス!
https://anond.hatelabo.jp/20161222124425
平凡でありきたり <= 周りの他人から見たもの
特別な幸せ <= 当人たちが感じるもの
トイアンナ氏の呪詛は、クリスマスに対してあまりに無力だ
- [心理]
何でもうれしいと思えるのは最初だけ。すぐ「これじゃない」となるので、トイアンナ氏のほうが実態には近い。
2016/12/23 07:54
幸せというのは、与えられるものでなくて
本当は、自分自身で作りだすものなんじゃないかなぁと思う。
たしかに、幸せは与えられるものという一面もあるけど、
善意を悪意として受け取ってしまうと不幸になるように、
似たような感じのことが、幸せにもあると思う。
トイアンナ氏の呪詛は、クリスマスに対してあまりに無力だ受け手は贈り手が込めた想いや手間を過去に遡って想像し、贈り手は受け手の状況から望む物を未来へ辿って想像する。それぞれが相手を想像する時間を交わし合うことが、プレゼントの物以上に大きな価値なんだろうな。
2016/12/23 04:19
これが、自身で幸せを作りだすという話だと思う。
スピリチュアルな感じになるけど、
幸せを上手に感じる人って、その考え方・精神構造もそうなっているような感じはしますね。
まあ、それは生まれ持ったものもあるとは思うので、マネできる部分とできない部分があるとはおもうけど、でも同じ状況なのに、そんなに幸福感を感じられてうらやましいと思うこともある。
呪詛に呪詛を返す必要はない本当の理由
「ブログでPV稼いで喜ぶ女はチョロい」みたいな呪詛もあるとはおもうけど、そういうのを言い出すと、もともとの呪詛にハマりやすいというのがあるからだと思う。金持ち喧嘩せずとか
幸せな人はスルーするとか
そういうのがあるのは、「呪詛にハマりやすい」というのがあるからだと思う。
たぶんPVがとかいうと、お前のブログのPVはとか、お前のブログは面白くとかそういう話に巻き込まれるというか、呪詛返ししてるつもりが、自身で不幸になりに行っている結果になりがちだとは思う。
もちろん、幸せの形はいろいろある
・特別 <= 周りの他人から見たもの・特別 <= 当人たちが感じるもの
こういうものも当然あり得るとは思う。
ただ、平凡な幸せを特別な幸せだと思うのは、不幸だみたいな話は、呪詛のたぐいかも。
そんなプレゼントで満足できるなんて・・みたいな。
そんなセンスで満足できるなんて・・・みたいな。
まあ、この手の呪詛って簡単で、
・満足
・プレゼント/センス
という2つの本当は違う物差しを混ぜるという手法ですね。
満足とか幸せとかそういうのって測りにくいから、大抵は目安となる別のもので計測するというのがあるので、そういう呪詛にハマりやすいと思う。
ここで、
・センスなんて関係ないんです
・値段なんて関係ないいんです
みたいな反論?をすると、呪詛にハマりやすいと思う。
つまり呪詛に関わること自体が、呪詛にかかるという話かも。
僕は、平凡な幸せを特別な幸せだと感じられないけど
僕は、平凡な幸せを特別な幸せだと感じられないけど、平凡な幸せを特別なものだと感じられる人は幸せだよね
という話も、書き方によっては呪詛になると思う
・僕は不幸
・周りは幸せ
という風にはなってるけど、
周りの幸せは幻想だっていう文脈になっていたら、呪詛でしょう。
でもって僕は不幸とか書きながら、実際にはそれほど不幸を感じてないというのなら特にそう。呪詛はいくらでも巧妙にできる。
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