・「生理用品を送り返した」のが嘘なら、嘘から啓蒙活動しているというのは問題ないのか?!
反原発関係なく、私が見る限りでは、世の中の人の多くがそうなんじゃないの?かなぁ思うんですね。
デマだと分かりやすいけど、無理解なら?
また2つめの問題だと、嘘であっても理解が広がることが素晴らしいから良いっていう人たちがいるわけです。
・正しい理解よりも、正しい選択を
・正しい手段より、正しい結果を
・勝てなければ意味がない
・結果が出なければ意味がない
・偽善や売名行為はダメだと明言できない社会
・大義や正論が、正義になりえないという社会
・勝てば、あとから正義が作れる
・正義よりも、豊かさが大事
・理想より、目の前の現実が大事
上記のすべてのことが、積極的に「有益なデマ」「有益な無理解」を放置してはいけないという方向にはならないと思うんですね。
都合の悪いものを、デマ・風評と言ってしまう世の中
・都合の悪いものを、差別・偏見だといってしまう世の中たとえば、正義や大義が悪用されるケースですね。
悪用というのは、心の問題なので、それを明確に見分けるのは難しいというのもあります。
「被災者を守るための風評」というのは、認められるかどうか?なんですね。
そもそも風評という言葉、デマという言葉が、事実と違うという単純な使われ方以上の使われ方をしている現状では難しいのかもというのと、「何かを守るための嘘」というのは、意外と認められやすいというのはあると思う。
デマや風評を恐れるのは、民衆が馬鹿で自身で判断できないクズだと思ってるから
自身は、きちんとわかるしかし、周りには無知で無理解の人たちがいるので
やばいです
みたいな話が根底にあるわけなので、
自身の価値観と方向性によって、
指摘すべき、デマや風評が変わってくるのは、自明となると思うんですね。
でもって、正しく理解できれば、こういう選択をするはずだという決めつけがあり、違う選択をすると、無知がなせるわざとかいいだすわけですよ。
いろいろな界隈
■偽科学界隈わかりやすい間違いだけ指摘している人多数で
科学的には間違っていないけど、その理解が違うとか微妙なところには介入しない感じではある。
でも、本当に害があるのは、その微妙なところを利用する人たちだったりすると個人的には思うんだけどね。
■差別・偏見界隈
差別をなくすために、偏見をなくすためには、
別の差別が発生しても、別の偏見が発生しても
大きな差別や偏見をなくすためには、仕方がないと思っている人たちもいるみたいだけど
■原発界隈
正しい理解を理解をしてるかよりも、どっちに賛成しているかどうかを重要視するような感じではある
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