・はてなブックマーク - 「私が大好きなアニメを見れなくなった理由」まとめ - Togetterまとめ
まあ、引用先のロジックは共感できるんですけど、そういう出来事もあるよねとか、そういう悲しいこともあるよねで留まるべきなんじゃぁないかと思う。
周りが肯定してくれないととか
周りが批判(ケチ)付けだすととか
それは、まあ仕方がないというか、
大好きという気持ちがあるのと同じように
そういう気持ちもあるんだとしか言えない。
で、なぜ、周りがそうだと、大好きなアニメを見れなくなるのかというと、同調圧力系の影響だと思うんですね。
逆に批判されるほど、俺(私)しかこの良さがわからないだと思う人だっているわけです。実は、僕もその一人。
他人と共有できるうれしさもあるように
自身しかその価値がわからないうれしさもあると思うんですな。
無言の賛同をするから
この映画、ちょっと考えられないほど駄作だよね?という言葉に対して・・・。まあ、人間関係の話だと思うな。
で、制御できない周りの問題に関しては、自身の内面の問題だと考えるしかないと思う。
人間関係は対話できるけど、
制御できない周りの人や世界とは、対話できないわけだし・・。
世界がきれいであってほしいと願うのは自由だけど
世界がきれいでなければならないと言い出すのは別物だしね。
同じ感性の人を探せばよいのに・・・
嫌なら見るなって言う系統の話ですね。この映画が駄作じゃないって思っているのは、僕だけじゃないと思えたら、救われるとかそういうはないのかなぁ。
ネットって、そういう部分は便利にできてるわけで。
その便利さと引き換えに、その倍以上、不快なものが情報として流れているだけで・・。
自身の不快なものが、他人にとって不快なものかどうかは別だしね。
自身な好きなものを汚さないでというのと同様に
他人の不快感を押さえつけるのも違うでしょう。
「不快感という純粋な気持ち」は、けがしてもいいとか?!
ある食べ物をたべて、
美味しいという人もいるだろうし、
マズイっていう人もいるとは思う。
まあ、表現には気を付けてという部分はあるだけど、
「美味しい」っていうことで、傷つく人たちもいるっていうことを忘れがちなんですね。
「こんなまずいものを、美味しいというなんて、世も末だ」みたいな料理漫画?もあったような。
美味しいっていう同調圧力もあるでしょう。
不味いって言わせないという同調圧力もあるでしょう。
周りが、まずい、まずいって騒ぎだしたら・・・
料理の味が、まずく感じるのは、心理的にはあり得る現象なんじゃないかなぁ。その典型が、お食事中の人には申し訳ありませんが・・で続く話だったりするんじゃ?
その話を聞いたとたん、食べる気が失せると。
お食事中の時は、そういう話は避けてねというのは、世の中に広まっているマナーで守る人多数だけど、
それとにた系統は、マナーとして定着してないっていうだけかも。
でも、マナーとして定着するかどうかは、多くの人の共感や賛同がないと成立しないので、今後もマナーとして定着することはないかと思います。
で、話を戻して、食事中でもそういう話をきいても、平気な人もいますけど、だからといって、そういう話をしても良いとはなたないわけです。
料理とアニメ(好きなもの)の違いは何?
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